その1
捨てずに保管してきていたドローイングの一枚です。珍しく日付が入っていたのでメモ用の手帳を頼りに調べてみると市内のJ中に勤務していた際の修学旅行の初日で広島に向かっている車中で描いたものでした。角柱に円盤のモチーフを描いていますが、その発想のきっかけがその頃の斉藤義重の板材を黒く塗った一連のインスタレーション作品にあったと思います。自分の空間をシンボライズする形を探して青色を用いていたのですが谷新さんのレビュー記事に類例があると指摘されて先に進めなくなってしまいました。この頃、創庫美術館で開催させていただいたBodey Artのあゆみ=Snow Performance個展(1989.4.2-19)を一区切りにし、そこからの飛躍、越境を目指していました。創庫美術館という大きな会場で新潟現代美術点展というグループ発表の機会が毎年あり(1993年まで6回開催された)、そこでの彫刻的な大作の新展開を構想していたようです。このような傾向でいくつか作例がありました。
その2
このドローイングには日付がありませんでした。
切断。角柱、球、ずらしなどがキーワードになっているようですが、今の認識で背景を探ってみても時代を切り開く斬新なコンセプトは浮かび上がってきません。
3番目ドローイングの中に柱を60度くらいにカットしそれに岩の重力で保持しようとする作例がありますがこれは今につながるかもしれません。
なお、掲載の4枚は掲載直後にシュレッダーにかけました。もうこの世に存在していません。
その3
毎日の 意味あるブログ 楽でない
本棚の 片付け遅々と 遅々以上
この頃は 再放送が 多々ありぬ
友は友 今日は何して 過ごすのか
朝の雪 溶けて流れて 海へゆく
その4
創庫美術館の話に関連して1988年の1月の第一回創庫美術館点展に出品した作品を掲載します。サイズは3mX3m。この3mのサイズは自家用車で運搬可能な長さということで決めました。これまでで最大の実体のある絵画作品で今は巻いてアトリエの梁に上げてあります。真ん中の円筒は10cm直径のパイプに帆布を巻いて彩色したものです。青色系への選択は明確でしたがレリーフ的絵画と「庇を借りて母家を取る」とい言葉がありましたが作品のメタへの思考がまだ突き抜けてはいませんでした。中心に柱を建てたいそんな意識が働いていました。柱ということから諏訪の御柱祭のことに興味を持つようになりました。その諏訪神社を訪れ自分の思い描いていた柱のイメージに比べようもない巨大な御柱を仰いだのは1994年の8月でした。この時、松澤宥さん宅を同僚の中島均さんを連れて表敬訪問し、初めてψの部屋に入れていただきました。懐かしくも思い出深い経験でした。
本日はこれにて。