Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

日常の非日常(2.17)

今日の午前は痛風関係の予約診察で近くの病院へ行く予定です。9月に発症して以来、尿酸を作らない薬を処方されています。もう何も自覚症状はないのですが、風邪などの院内感染を防ぐためにマスクをして出かけようと思っています。

昨夜は時々強い風が通り過ぎました。寒波が近づいてきている予報です。雪アートのために30cmくらい降って欲しいと思っています。

 

今日の話題は先日のSスーパーでの偶然のレシート。値段の合計が3000円で珍しいと思いましたが、そのうちの消費税の222円が松沢宥さんの数霊にリンクした次第です。

この前の前の御柱祭(2010年)の際は2222円の値段で偶然の買い物をして、その数霊メッセージを受け止めてOさん、Fさんを誘ってと松沢宅へ伺って墓参もさせていただいたことを思い出します。

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これは2018年の「松沢宥ゆかりの地フイールドトリップ」で伺った松沢宅の2階で同行したワイフからとってもらった一枚です。この「人類よ消滅しよう 行こう 行こう」と同じプリントを松沢さんから直接頂いてコレクションとしています。その他、背景の棚にも謎の言葉が読み取れます。

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松沢さんは2,000年のTate ModernでのCentury City展の際はウンモ星の湖に絵画を見せる展覧会をされました。

最近の宇宙ブームもあり、ウンモ星を調べてみたら14.5光年くらいの近いところのあることがわかりました。今は138億光年の彼方のブラックホールが100個以上発見されるような時代となっていますので、その空間感からすればウンモ星はかなり近い星になっています。それにしても松沢さんは今どこにおられるのでしょうか。

SNOWART-2

昨日よりSNOWART2020 山ぞりまつりが始まりました。

 

大ぞりと小ぞりとモニュメントが当初計画とは違う農舞台の芝生エリアに移されて展示開始です。山ぞり隊による本格的な山ぞりの運行は29日と3月1日ですが、それまでの間に来られた観客の要望には応えて乗せて動かすことになり、昨日の午前には3回の運行がありました。運行はカカシ隊の皆さんによります。

 

小ぞりの塗料が剥がれていたので午前中にメンテナンスしてきました。小ぞり4基綺麗になりました。それぞれで好きなように遊んでください。

メンテナンス中に最初のお客さんが見えました。

中央に写っている黒いのは磯崎道佳さんの作品です。

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 中央向こうに草間彌生さんの作品が見えます。今年の雪では片付け保管しなくて良いというわけです。お隣さんの磯崎さんのタイトルなど紹介します。f:id:niigata-art226:20200216100031j:plain

昨日の山ぞりの搬入の一コマです。旧清水小のピロティから軽トラで運んできました。

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昨日の運行第一回目です。左奥のテントでは「里山スノーアクティビティ」を案内しています。今年は縄ない体験ができます。その他、カンジキ履いての雪山歩きなどが例年通り開催されます。

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公式チラシより引用します。 

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SNOWART2020スタート

本日から3月1日までの土日祝の7日間、SNOWART2020が大地の芸術祭の里で行われます。詳しくはサイトでご覧ください。

www.echigo-tsumari.jp

 

私の関係はまつだい農舞台での第9回山ぞりまつり。山ぞりを動かすのは29日と3月1日の2日間です。昨日、祭のモニュメントと山ぞりの展示をしてきました。山ぞりは正式には前述の2日間ですが、それまでの5日間で観客の皆さんの希望により動かすことが可能な参加型になっています。

現在の積雪50cmくらいでした。稀に見る少雪の今冬ですが、山ぞりは車をつけてでも動かす予定です。とにかく雪よ降れ降れ!!の願いです。

 

今回の山ぞり祭りモニュメントを紹介します。昨日は天気も良くクリアな写真が撮影できました。

新作Bar-10 Tensegrityです。色は5輪の色にしています。Barの長い方が300cmで白は100 cmです。引っ張りはロープです。マケット制作から試作を経ての取り組みで、かなり端正に組み上がり安堵しています。

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断捨離への長い旅−3

人生の中で10回くらい気を入れて詩を書いたことがある。手書きの時代に長い文章は全く苦手で字も乱れ、それに誤字脱字と句読点の使い方知らず。書くことは嫌いではなかったのですが、文章は構成するものであるという知的技術が身についていませんでした。詩は気持ちの合わせてそれなり言葉を繋いでいけばできると思っていたようです。

主に美術教育関係のレポートでしたが、自分を見つめて思うことを書けるようになったのは30歳を過ぎていたと思います。

 

次の詩はその頃に結婚前のワイフに美術教師の自己紹介として書いた詩です。詩の部分だけ抜き書きしてブログ虚空に放り投げます。

 

純白なノートを前に

一瞬とまどい

ここは僕にとって海なのだ 山なのだ 地表なのだ

青空なのだと思えた時

初めて一本の線が引かれる

白いノートが僕にとっての空間となる

 

時として

思うだけで描いた気持ちになったり

一本の線で充分満足してしまうことがある

思い切ってその空間の中で動き回り

もっともっと線を引いて形を作り

彩りを与えて

自分の思いを確かめかみしめ

自分の世界を気づかなければならぬのに

 

今僕には確かに 自分の世界の色あいが見えている

緑とも青とも名付けようのない

そう あのさわやかな色あいが

何か 描けそうな気がします

 

今日はバレンタインデー

ワイフから義理チョコをもらいました。結婚45年目に入っています。なんちゃってです。

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それにしても水際で押さえていたはずの新型肺炎がすでに国内にも広がってしまっているということで驚いています。

マスク着用、手洗いの励行など気は許せません。

断捨離への長い旅−2

今日は昭和35年(1960)の京都奈良への修学旅行のレポートを掲載します。3B 男4名のグループで感想をまとめた形になっています。字は私の字でした。下手な字なので間違いありません。400字の原稿用紙六枚半に書かれており、それなりに頑張って書いたようです。その下書きが残されていたと思われます。記述内容の中でそれぞれの寺院の資料がないとかけない内容が含まれていますが、パンフレットのようなものから引用したと思われます。句点、読点がうまく使われておらず、また誤字もかなりあり、難しい漢字はほとんどひらがなで記述されていましたがワープロで自動変換してしまってその当時たくさんの漢字を知っていたかのようになってしまった箇所があります。

今考えて、このレポートで貴重なのは見学コースがわかるということです。この旅行の写真は少しあります。写真と合わせて60年前の旅の記憶を再構成してみます。

このレポートもブログの虚空に打ち上げて供養です。

 

 

3B 男 12〜15

 

楽しかった三泊四日の修学旅行が終わりました。僕らのグループは京都観光を主に感想を述べます。まず22日、小雨の降りしきる中をバスで高田まで行き、ガスカーに乗りました。ガスカーは直江津で乗り換えでした。直江津で汽車に乗ってから、おにぎりを食べる人、お菓子を食べる人など色々でした。

京都までは13時間くらい乗るんですが、みんな本を見たり他の席に遊びに行ったりして退屈しませんでした。長浜の駅では先輩が出迎えていて女子などと話の花を咲かせていました。大津近くに来た時、先生の下車準備という声に、とうとう京都へ来たな、というような気持ちになりました。京都駅に着いた時僕たちの下りたホームにちゃんと高田屋旅館というのぼりを持った人が迎えに来ていましたのでみんな歓声をあげました。下車、整列、人員点呼を済ませてのぼりを先頭に宿屋までテクシーでした。駅前広場の美しいネオンはみんなのまぶたに焼き付いていることでしょう。宿から大通りを境にすぐ東本願寺があるのでみんなそれを眺めて早く見学したいという気持ちになりましたが、それは明日のお楽しみで旅行第一夜を過ごしました。

23日、朝6時起床でした。顔洗いを済ませてご飯ができるまで東本願寺の境内を散歩しました。この寺にはたくさんのハトが住んでいてとても人になついていました。みんなハトの豆を買ってハトに食べさせました。ハトが人の背に乗るくらいですから、誰もが捕まえてみたいというよくぼうを起こしました。だけどつかまえようとするとすぐに逃げてしまいます。みんな面白そうでした。それからメシを食べて京都観光に出かけました。

まず最初に石山寺へ行きました。この寺は淳仁天皇天平宝字5年(761)から6年にかけて造られたそうですが、今の建物は源頼朝豊臣秀頼によって復興されたものです。見学する前に天然記念物の大きな石の前で班別に並んで記念写真を撮りました。本堂内で坊さんから説明を聞き、多宝塔のあるところへ行きました。さすがに多宝塔は国宝建築だけあってそのかんろくを十分に発揮しているように見えました。この多宝塔は現存中最も古く、最も美しいと言われています。それから少しバスに乗って三井寺へ行きました。現在の建物は豊臣、徳川両氏が造ったものといい、特に秀吉の妻の北政所が造ったと言われる金堂はこの寺

のなかで最も美しく優美な建物でした。それからてんぼうだいのあるところへ行きましたがびわ湖がほんのぼんやりと見えただけで本当に残念でした。

そして今度は京都御所です。天皇は、都が東京に移される前までは代々ここに住んでいました。今では国家の需要な儀式が行われるだけです。僕らは、あの有名な紫宸殿の前で説明を聞きました。それによると御所は何度も火災にあいましたがその建て方の形式だけはずっと同じものを伝えてきたのだそうです。それでその建物の前へ行くと古めかしい感じがするのかもしれません。現在の建物は江戸時代に建てられています。それから御所内を説明を聞きながら見学をしました。御所とおさらばして二条城の方へ行きました。途中バスによった人が出ましたので、バスガールが京都の道路は完全ほそうされているのでデンデンとしません、ようような人も自分はよわないと思っていれば良いと言いました。僕らは清里村にもこんないい道があればいいなと思いました。

二条城はバスの中から見ただけでしたがとても美しく見えました。中には映画はいゆうがいないかと首を出してみる人もいました。それから行ったのが金閣寺でした。金閣寺足利義満が公家の別荘地を買い、そこに金閣および他の建物を建てたものだとされています。金閣寺は昭和25年に放火で焼けました。そして現在の建物は昭和30年に再建されたものです。金閣は遠くからながめるととてもきれいに見えますが近くへ行ってみるとあまりきれいではありませんでした。また、池には色とりどりの鯉が泳いでいてとてもきれいでした。

次は西陣織物館へ行きました。ここでは西陣織を織っているところを見たり着物ショーを見たりしました。西陣織物館を後にして今度は平安神宮です。平安神宮は明治時代に建てられたものでしゅぬりの柱などは全然ハゲていないので平安朝を思わせるようでした。そこで記念写真を撮ったり、ゆっくり休みました。バスの乗って次は知恩院です。知恩院の山門はとても大きく仁王さんがありませんでした。山門を上がったすぐそばに男坂、女坂というのがあって男坂の方はとても急な石段でした。行くときはみな男坂を登って行きましたが本堂、うぐいす張りなどを見学して帰るとき男は男坂を女は女坂を下りてどちらが早いか競争しました。みんな歓声をあげて下りて行きました。結局男の方が早かったようです。

それから一路清水寺へと向かいました。バスの乗っている途中、みんな腹が減ったと空腹を訴えました。みなそうでした。

清水寺の本堂の舞台の下の柱は10m以上あり、釘が一本も使われていないそうです。みんな驚きました。本堂の下の不動明王のところで水を飲み、休憩所へと急ぎました。休憩所では弁当を食べたりお茶を飲んだりしてからゆっくりお土産を買うことができました。ゆっくり休んでからバスが停まっているところへ行き、いよいよ三十三間堂へと急ぎました。三十三間堂妙法院所属の境外仏堂になっており、内陣の柱の間が33間あるところからで三十三間堂の名で知られています。縦が65間2尺3寸、横が9間1尺8寸あるそうです。本尊の十一面千手観音と裏側の廊下にある風神雷神二十八部衆は国宝で千一体の十一面千手観音重要文化財です。堂内では坊さんがマイクを使って説明してくれたのでよくわかりました。十一面千手観音の千体仏は一体一体で鑑賞するよりも群像の美しさ感じないわけには行きませんでした。また裏側の廊下にある風神雷神二十八部衆も良かったのですが、何しろ時間がないのでよく見れませんでした。今考えてみるとほんとうに残念でした。三十三間堂は京都観光中の最高のところだと思いました。

それから京都駅に行き、汽車に乗り、大きくなってからまた京都に来るのを望みながら奈良へと向かいました。

 

 

京都関係の写真が二枚見つかりました。この写真は画面右の四角い表示から三井寺の鐘楼の前とわかりました。三井寺はその後に観光したことはありません。次に京都へ行く機会に訪れてみたいものです。

 

この当時のスナップ写真は貴重です。社会科のK先生が一眼レフを持っておられて撮影してくださったのです。

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Webで三井寺を調べてみました。三井寺の金堂の前です。内部の像などの記憶はありません。

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断捨離への長い旅

断捨離をほんの少しづつ進めています。自分のこれまでの書き物の記録の中で残っているものはほんの少しなのですが中学生の頃の作文が出て来て、処分するかどうか迷いました。年齢からして中学2年の頃の作文です。このナイフを持って転んだことの記憶は今でもクリアです。全く拙い作文ですが、ブログという虚空に放り上げて供養したいと思いました。

 

おさない頃の思い出

 ぼくは、昭和21年2月26日に生まれた。戦争が終わって、食料不足のときだった。お母さんも、ぼくを育てるのにたいへん苦労したのだろう。

ぼくがこの14年をすごしてきた間の思い出といっても、正しく記憶に残っているのはおそらく1つか2つだろう。

ぼくが5か6才のときだった。ぼくは切り出しナイフをもって庭を走って転んでしまった。運わるくぼくはてを切ってしまった。大声をあげてないたことが今でもわかる。その時の写真が今でものこっているが、右手にほうたいをしたそのすがたがとてもへんなので、自分ながら笑ってしまいました。そして、小さい頃の写真をのこしているのは良い思い出になると思いました。

それから、ぼくが小学校2年の時だった。4時間目が終わって、ぼくらは運動場で遊んでいた。先生が、ごはんの時間ですよ、と言ったのでほかのものはいきましたが、ぼくとKくんとMくんだったと思いますが運動場にのこっていて、教室にいかない、というようなことを相談していました。そのうち先生が昇こう口で、はやくきなさいといったので、ぼくたちは運動場のはしの方にへいって先生のわる口などをかいて遊んでいました。

そのうちベルがなってほかのものたちがかえったので、そっと教室へいってカバンをとって弁当をたべて家へとんでかえりました。

つぎの日、みんなの見ている前でさんざんおこられてしまいましたが、ぼくは今考えてみて、どうしてこんなことをしたのかと思います。やはり、3人で集まって悪ぢえをはたらかせたのだと思います。

ぼくは、小さい頃の思い出はほめられたことより、けがをしたこと、おこられたこと、わるさをしたことがだれにも記おくにのこっていると思いました。(読点を一部訂正)

 

次は、現代美術の表現に悩み、行き詰まっていた時に教員として真剣に取り組もうと決意した頃の詩が出て来ました。学級のグループノートに記載したものです。この朝焼けのイメージも記憶に残っています。この朝焼けに気付いた場所は今池橋を渡ったあたりでした。

 

 

 

朝やけに向かって                                                  1979.5.15(S49 A中に勤務)

 

ふと気がつくと

ぼくは朝やけに向かって車を走らせていた

 

そうなのだ!

今は、3時半!!

夜の7時からほんのさっきまで

生徒会のマークの印刷の仕事をしていたのだ

あのアートプロで

 

思いきり集中して仕事をしたあとは

心良い疲労感で身体が浸され

言葉にならない息がのどを通る

 

そうなのだ!

やった!!という満足感を

胸中におさめ

ぼくは家へと急いでいたのだ

 

車はまぎれもなく走っている

ぼくはまぎれもなく車中にあり運転している

しかし!

 

いや、それにしても

この

この朝やけは美しい

この朝やけはなんとも言えない!!

 

そして

そのオレンジの色光を背に

北に米山がそびえ立ち

南にぼんやりずっしりと

妙高がそびえ立っている

あの、神さび澄める妙高が ぼんやりずっしりと

 

つまり、ぼくは

この 緑の頸城平の

中心を走っているのだ

朝やけに向かって走っているのだ

太陽に向かって走っているのだ!!

 

この生徒会のマークを仕上げる際に当時のアートプロの社長のSさんに指導助言をしてもらいました。S社長は東京でシルクスクリーンを学ばれて帰郷されて起業されたお方。S社長にはその他様々の表現の場面で助けていただきました。

 

 

別件で付け足しです。

薄暗いですが中央に写っているのは高田では最も身近な南西方向に位置している南葉山です。最近はその右肩の方向に陽が沈むようになりました。冬至を過ぎて50日が過ぎています。太陽が沈む位置も毎日変化しているのを改めて見届けたように感じました。

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Tensegrity−4発行に向けて

Tensegrity−4発行に向けて覚書などをまとめています。

 例えば写真のようなタイプをどのように位置付けるか。両サイドを固定し、Barを交互にX型につないで行きます。横に伸びていくタイプです。天井部に固定すれば垂線の方向に伸びていきます。

 

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Tensegrity−4 覚書き

 Tensegrityに憑かれて6年目に入っている。Tensegrity原理を応用しBarは大400cmから小5cmまでのサイズで500例以上の試みを積み上げてきた。その作例を後付け整理して5種類に分類してきた。

 

Aドーム型    

 Barの両端から4本の引っ張り線がある。Barを増やしていくと徐々に大きい球形を形作っていく。実績108本の例がある。円筒型の土台を利用すれば半球型も可能である。

 

B放射型    

ウニのトゲのように中心から放射する形を成していく。Barの長さを直径とする球形に近づいていく。組み立て方法はまずドーム型を作って線対称の位置にある頂点を相互に入れ替えていく。Barが中心で交差する形になる。Barの太さにより中心の交差部が混んでしまうため焼き鳥串素材での作例は15本まで。

 

Cスパイラル型 

Barの両端から3本の引っ張り線で生成する。組み立て方法の説明はしにくい。角錐、角錐台の形を繋げていく形になる。

 

Dタワー型   

同じ本数のスパイラル型の単位を積み上げていくことにより生成する。実績は4本タイプの7段つなぎ例まで。積み上げ方にいろいろな方法が考えられる。

 

E チェーン型

天井から床へ、右壁から左壁へ、頂上から谷へなどと両端を固定して線状に張るワイヤーのようなタイプ。

 

なお、どのタイプも引っ張り線は結節点でつながれBarを取り払うと球体または半球体、円筒状のネット構造になっている。このことから逆に発想し最初にネットを作りBarのセットを2番目にする方法があることに気付いた。この場合Barは斜めの筋交いのようにセットしていく。市販の農業用ネット、包帯ネット、防鳥ネットやストッキングを利用した作例がある。

 

 

あとがき

 

Tensegrityの組み立て、解体、再組み立てなどエコ、リユース型の展開に今日的な魅力を感じている。材料によるが短期間のインスタレーション表現、耐久性が必要な表現にも対応できる。

ここ一年のTensegrity作品を発表歴

 

SNOWART2019 第8回山ぞりまつりモニュメント(十日町市まつだい農舞台)

上越市樹下美術館 屋内外常設的展示

新潟市Gallery HAFU個展(大中小100点以上展示)

上越美術協会展(招待出品)

「ふれるかんじる楽しい美術展」南魚沼市池田記念美術館

SNOWART2020第9回山ぞりまつりモニュメント(十日町市まつだい農舞台)

 

Web自学により小さくて軽い素材によるマケット的作品の作り方はほぼマスターしたと考えているが、その道は始まったばかり。次の展開・追究の方向をどう定めるか思案している。

大型化、耐久素材への挑戦、室内での装飾性を高める方向、野外展開への挑戦などがある。その他、Barの大小の混在、異質な形の組み合わせ、曲線の導入、彩色の多彩化の工夫などを考えている。(2020.3.1)

 

著者  堀川紀夫

発行者 堀川紀夫

発行所 Baku出版社

〒943-0836 新潟県上越市東城町1-16-4 (mikinoriemi@icloud.com)

長岡造形大学へ

昨日、長岡市長岡造形大学へ行って卒業・修了研究展を見てきました。長岡造形大学は在籍者800名以上(各学年200名以上)ということで、卒業・修了研究展では各コースでたくさんの作品が展示されており、見応えありました。が、ネームプレートが小さく、それが床に置いてある例が多く、視力の衰えてきているので短時間で見ることに疲れたように感じました。

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お目当ては、大学院造形研究科 博士(後期)課程の長谷部原さんのプレゼン。そのタイトルは

新潟県における新潟現代美術家集団GUNの長期的ネットワークと同時代的共振

 

この研究でインタビュー、メールによる質問、資料提供などの協力をした経緯があってその口頭発表には伺えなかったのでプレゼンだけは見届けたいと出かけて行きました。

GUNのことを県内の研究者がテーマとしてくれたこと感謝し、論文となって客観化していただいたことを心から喜びたいと思います。写真中央のオレンジファイルが論文です。

 

ブレゼンの前で記念の一枚です。

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入り口左にかなり大きなしだれ桜がありました。春の開花が待たれます。花見に来たいと思いました。

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帰り道、米山から柿崎の間は吹雪いていました。久しぶりの荒天ドライブとなりました。

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雪によるインスタレーション

 

夜中の2時頃に撮影。広島被爆柿の木の2世に雪化粧です。

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朝7時50分に撮影。空には薄い靄った青空が出てきていました。f:id:niigata-art226:20200209075650j:plain

まさに雪によるインスタレーションです。見慣れた風景ですが何時見ても心が動かされます。心に染み付いた雪との宿命による感覚です。

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紅一点。山茶花の赤が元気をなくしたように見えます。

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山桜のアーチ。植物たちは雪に対して備わっている枝の力でしなやかに対応しているのです。そんな力を頼りに、今年は雪囲いしませんでした。

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 短いつららが下がっていました。

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日常の非日常(2.8)

今日の午前中は、昨日の美連コンクールの審査講評の仕上げと歯の一本に痛みが出たために歯科医へ行ってきました。

午前中から時々湿り気の多い雪が降り、灰色の空と白の世界が広がってようやく冬の到来という感じです。水はけの良いところで約20cmくらいの積雪になっています。夕方に消雪のため水を出す作業をしました。数日間は同じように降るようです。雪国の宿命に翻弄される日々が始まりました。

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味気ないので、ハートの模様の入ったストローによるBar-5 Tensegrityを添えます。 

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最後の務め

今日は地元の美術教育連盟の絵画版画コンクールの最終審査がありました。私こと、絵画部門の審査委員長を務めさせていただいて5年目。審査委員は10回目。美連との関わりは1970年から数えて50年目。なおコンクール自体は60回目を向けています。

この美連に関わりながら一人の会員から研究部長、国際交流部長、副事務局長、事務局長、副会長、会長などすべての役職を務めさせてもらいました。

そんなこれまでの歩みがあり、今回は美連に強く関係する者としての節目を強く意識しました。ここまで私を導いてくれた先輩方、また切磋琢磨的にお付き合いいただいた同世代の先生方、支えてくれた後輩や教え子に当たる先生方各位に心より感謝する次第です。

写真は審査会場で自撮りしたものです。来年のことを言うと鬼が笑いますが、審査のことは辞退させていただいて、別の立場から美連を支援していこうと考えている次第です。

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付け足し

本日は今冬で最大の寒波に見舞われました。朝、8時過ぎに通りに出たら道路の全面凍結で自家用車は渋滞の真っ最中。ところどころでスリップ事故があったとのこと。そのうちの一件を途中で目撃。自宅からR18に出るまでの2kmくらいはスリップに最大の注意を払いながらのノロノロ運転でした。なんとか無事に審査会場までたどり着いて一安心でした。それにしても暖冬少雪に慣れて冬の厳しさを忘れていたことに猛反省させられた本日でした。

 

一晩の寒波の影響は大きかったです。

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途中、スリップ車を見つけてすかさず撮影。道路は関川の少し手前で全面凍結していました。久しぶりの危険な出来事でした。今後、気象を見極め気を許すことなく車を安全に運転したいと決意!!

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久しぶりの雪ー2

積雪、約10cmです。

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今年初めて消雪システムを動かしました。
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降雪は続かず、9時頃から 日が差してきました。ふと庭をみると虹色のような形ができていました。2回の窓ガラスに陽光が反射してその形が雪の上に映されたものです。撮影は10時40分頃でした。この住宅で住み始めて22年くらいですが、不思議とこれまでこの現象に気付いたことがありませんでした。f:id:niigata-art226:20200206121143j:plain

 

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久しぶりの雪

1980年代前半のコピー資料を見た目よろしく和綴じ風にしました。この時代は齢30歳台後半で当時流行りのポストモダニズム哲学の教養を獲得しようと苦闘していました。図書館でコピーして読み漁ったもので捨てるに捨てられない想いがあるものでした。

「美の再定義」の著者は東野芳明さんです。30年前の軽井沢高輪美術館の開館記念展のデュシャン大回顧展にまつわる話が出てきます。冒頭に那智の滝の前で磁石付きのチェスゲームに興じるジョン・ケージデュシャン未亡人の話が印象に残っていました。そんな記憶を持って、一昨年の伊勢方面旅行を思い出してその光景を幻視していました。

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午後3時過ぎ、予報通りに雪が降ってきました。妙高高原ではスキーのインターハイが始まりました。大会準備に雪を運ぶなど大変な手間をかけたとニュースされていました。もう大丈夫でしょう。30cmくらい積もるのかと期待しています。

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中国武漢市から発したコロナウイルスの猛威が世界に広まって人ごとではありません。外出してみるとマスクを着用している人がいつもより多く見られました。

インフルエンザの季節でもあるので、とにかく必要最小限の外出に留めたいと考えています。

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ナノメートル(nanometre、記号: nm)は、国際単位系の長さの単位で、10−9メートル (m ) = 10億分の1メートル。 SI基本単位であるメートルに、基礎となる単位の10−9の量である事を示すSI接頭辞のナノを付けたものである。 1 nm = 0.001 µm = 0.000001 mm  ...

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ブラックライトの効果−2

昨日の続きです。少し太めの5ミリサイズの引っ張りゴムを使用した作例にブラックライトを当ててみました。蛍光剤の入った2色が反応して光っています。Barにも最初から意図的に蛍光塗料を使用してみたいと思います。

 

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とりあえず。

 

ブラックライトの効果

Tensegrityに取り組み始めて6年目。光の当て方での展示効果を狙うのも一つの方向と考えるに至りました。

これまでに画廊や壁面での自然光やライトによってできる影の効果を意図したことがありましたが、今回は引っ張りゴムに含まれている蛍光剤に着目しブラックライトを当ててみました。

ブラックライトは1960年代末に流行し、展示やグループ展で使用したことがありました。手元に5年ほど前に買った小型のものがありそれを使ってみました。

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Barに塗られた蛍光塗料も反応してそれなりの雰囲気を見せてくれました。次の展示の機会に何らかの作品に仕立ててみたいと思います。

 

Web ウィキペディアより

ブラックライト英語: black light)とは、わずかに眼で見える長波長の紫外線(波長 315-400 nm、UVA、Ultraviolet A)を放射する電灯である。ブラックライトの光自体は人間の目にほとんど見えないが、ブラックライトを当てた物体は内部に含まれる蛍光物質だけが発光するため、非破壊検査磁粉探傷試験に使われるほか、視覚効果の一種としても利用される。