Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

断捨離への長い旅

断捨離をほんの少しづつ進めています。自分のこれまでの書き物の記録の中で残っているものはほんの少しなのですが中学生の頃の作文が出て来て、処分するかどうか迷いました。年齢からして中学2年の頃の作文です。このナイフを持って転んだことの記憶は今でもクリアです。全く拙い作文ですが、ブログという虚空に放り上げて供養したいと思いました。

 

おさない頃の思い出

 ぼくは、昭和21年2月26日に生まれた。戦争が終わって、食料不足のときだった。お母さんも、ぼくを育てるのにたいへん苦労したのだろう。

ぼくがこの14年をすごしてきた間の思い出といっても、正しく記憶に残っているのはおそらく1つか2つだろう。

ぼくが5か6才のときだった。ぼくは切り出しナイフをもって庭を走って転んでしまった。運わるくぼくはてを切ってしまった。大声をあげてないたことが今でもわかる。その時の写真が今でものこっているが、右手にほうたいをしたそのすがたがとてもへんなので、自分ながら笑ってしまいました。そして、小さい頃の写真をのこしているのは良い思い出になると思いました。

それから、ぼくが小学校2年の時だった。4時間目が終わって、ぼくらは運動場で遊んでいた。先生が、ごはんの時間ですよ、と言ったのでほかのものはいきましたが、ぼくとKくんとMくんだったと思いますが運動場にのこっていて、教室にいかない、というようなことを相談していました。そのうち先生が昇こう口で、はやくきなさいといったので、ぼくたちは運動場のはしの方にへいって先生のわる口などをかいて遊んでいました。

そのうちベルがなってほかのものたちがかえったので、そっと教室へいってカバンをとって弁当をたべて家へとんでかえりました。

つぎの日、みんなの見ている前でさんざんおこられてしまいましたが、ぼくは今考えてみて、どうしてこんなことをしたのかと思います。やはり、3人で集まって悪ぢえをはたらかせたのだと思います。

ぼくは、小さい頃の思い出はほめられたことより、けがをしたこと、おこられたこと、わるさをしたことがだれにも記おくにのこっていると思いました。(読点を一部訂正)

 

次は、現代美術の表現に悩み、行き詰まっていた時に教員として真剣に取り組もうと決意した頃の詩が出て来ました。学級のグループノートに記載したものです。この朝焼けのイメージも記憶に残っています。この朝焼けに気付いた場所は今池橋を渡ったあたりでした。

 

 

 

朝やけに向かって                                                  1979.5.15(S49 A中に勤務)

 

ふと気がつくと

ぼくは朝やけに向かって車を走らせていた

 

そうなのだ!

今は、3時半!!

夜の7時からほんのさっきまで

生徒会のマークの印刷の仕事をしていたのだ

あのアートプロで

 

思いきり集中して仕事をしたあとは

心良い疲労感で身体が浸され

言葉にならない息がのどを通る

 

そうなのだ!

やった!!という満足感を

胸中におさめ

ぼくは家へと急いでいたのだ

 

車はまぎれもなく走っている

ぼくはまぎれもなく車中にあり運転している

しかし!

 

いや、それにしても

この

この朝やけは美しい

この朝やけはなんとも言えない!!

 

そして

そのオレンジの色光を背に

北に米山がそびえ立ち

南にぼんやりずっしりと

妙高がそびえ立っている

あの、神さび澄める妙高が ぼんやりずっしりと

 

つまり、ぼくは

この 緑の頸城平の

中心を走っているのだ

朝やけに向かって走っているのだ

太陽に向かって走っているのだ!!

 

この生徒会のマークを仕上げる際に当時のアートプロの社長のSさんに指導助言をしてもらいました。S社長は東京でシルクスクリーンを学ばれて帰郷されて起業されたお方。S社長にはその他様々の表現の場面で助けていただきました。

 

 

別件で付け足しです。

薄暗いですが中央に写っているのは高田では最も身近な南西方向に位置している南葉山です。最近はその右肩の方向に陽が沈むようになりました。冬至を過ぎて50日が過ぎています。太陽が沈む位置も毎日変化しているのを改めて見届けたように感じました。

f:id:niigata-art226:20200212164422j:plain