Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

断捨離への長い旅−2

今日は昭和35年(1960)の京都奈良への修学旅行のレポートを掲載します。3B 男4名のグループで感想をまとめた形になっています。字は私の字でした。下手な字なので間違いありません。400字の原稿用紙六枚半に書かれており、それなりに頑張って書いたようです。その下書きが残されていたと思われます。記述内容の中でそれぞれの寺院の資料がないとかけない内容が含まれていますが、パンフレットのようなものから引用したと思われます。句点、読点がうまく使われておらず、また誤字もかなりあり、難しい漢字はほとんどひらがなで記述されていましたがワープロで自動変換してしまってその当時たくさんの漢字を知っていたかのようになってしまった箇所があります。

今考えて、このレポートで貴重なのは見学コースがわかるということです。この旅行の写真は少しあります。写真と合わせて60年前の旅の記憶を再構成してみます。

このレポートもブログの虚空に打ち上げて供養です。

 

 

3B 男 12〜15

 

楽しかった三泊四日の修学旅行が終わりました。僕らのグループは京都観光を主に感想を述べます。まず22日、小雨の降りしきる中をバスで高田まで行き、ガスカーに乗りました。ガスカーは直江津で乗り換えでした。直江津で汽車に乗ってから、おにぎりを食べる人、お菓子を食べる人など色々でした。

京都までは13時間くらい乗るんですが、みんな本を見たり他の席に遊びに行ったりして退屈しませんでした。長浜の駅では先輩が出迎えていて女子などと話の花を咲かせていました。大津近くに来た時、先生の下車準備という声に、とうとう京都へ来たな、というような気持ちになりました。京都駅に着いた時僕たちの下りたホームにちゃんと高田屋旅館というのぼりを持った人が迎えに来ていましたのでみんな歓声をあげました。下車、整列、人員点呼を済ませてのぼりを先頭に宿屋までテクシーでした。駅前広場の美しいネオンはみんなのまぶたに焼き付いていることでしょう。宿から大通りを境にすぐ東本願寺があるのでみんなそれを眺めて早く見学したいという気持ちになりましたが、それは明日のお楽しみで旅行第一夜を過ごしました。

23日、朝6時起床でした。顔洗いを済ませてご飯ができるまで東本願寺の境内を散歩しました。この寺にはたくさんのハトが住んでいてとても人になついていました。みんなハトの豆を買ってハトに食べさせました。ハトが人の背に乗るくらいですから、誰もが捕まえてみたいというよくぼうを起こしました。だけどつかまえようとするとすぐに逃げてしまいます。みんな面白そうでした。それからメシを食べて京都観光に出かけました。

まず最初に石山寺へ行きました。この寺は淳仁天皇天平宝字5年(761)から6年にかけて造られたそうですが、今の建物は源頼朝豊臣秀頼によって復興されたものです。見学する前に天然記念物の大きな石の前で班別に並んで記念写真を撮りました。本堂内で坊さんから説明を聞き、多宝塔のあるところへ行きました。さすがに多宝塔は国宝建築だけあってそのかんろくを十分に発揮しているように見えました。この多宝塔は現存中最も古く、最も美しいと言われています。それから少しバスに乗って三井寺へ行きました。現在の建物は豊臣、徳川両氏が造ったものといい、特に秀吉の妻の北政所が造ったと言われる金堂はこの寺

のなかで最も美しく優美な建物でした。それからてんぼうだいのあるところへ行きましたがびわ湖がほんのぼんやりと見えただけで本当に残念でした。

そして今度は京都御所です。天皇は、都が東京に移される前までは代々ここに住んでいました。今では国家の需要な儀式が行われるだけです。僕らは、あの有名な紫宸殿の前で説明を聞きました。それによると御所は何度も火災にあいましたがその建て方の形式だけはずっと同じものを伝えてきたのだそうです。それでその建物の前へ行くと古めかしい感じがするのかもしれません。現在の建物は江戸時代に建てられています。それから御所内を説明を聞きながら見学をしました。御所とおさらばして二条城の方へ行きました。途中バスによった人が出ましたので、バスガールが京都の道路は完全ほそうされているのでデンデンとしません、ようような人も自分はよわないと思っていれば良いと言いました。僕らは清里村にもこんないい道があればいいなと思いました。

二条城はバスの中から見ただけでしたがとても美しく見えました。中には映画はいゆうがいないかと首を出してみる人もいました。それから行ったのが金閣寺でした。金閣寺足利義満が公家の別荘地を買い、そこに金閣および他の建物を建てたものだとされています。金閣寺は昭和25年に放火で焼けました。そして現在の建物は昭和30年に再建されたものです。金閣は遠くからながめるととてもきれいに見えますが近くへ行ってみるとあまりきれいではありませんでした。また、池には色とりどりの鯉が泳いでいてとてもきれいでした。

次は西陣織物館へ行きました。ここでは西陣織を織っているところを見たり着物ショーを見たりしました。西陣織物館を後にして今度は平安神宮です。平安神宮は明治時代に建てられたものでしゅぬりの柱などは全然ハゲていないので平安朝を思わせるようでした。そこで記念写真を撮ったり、ゆっくり休みました。バスの乗って次は知恩院です。知恩院の山門はとても大きく仁王さんがありませんでした。山門を上がったすぐそばに男坂、女坂というのがあって男坂の方はとても急な石段でした。行くときはみな男坂を登って行きましたが本堂、うぐいす張りなどを見学して帰るとき男は男坂を女は女坂を下りてどちらが早いか競争しました。みんな歓声をあげて下りて行きました。結局男の方が早かったようです。

それから一路清水寺へと向かいました。バスの乗っている途中、みんな腹が減ったと空腹を訴えました。みなそうでした。

清水寺の本堂の舞台の下の柱は10m以上あり、釘が一本も使われていないそうです。みんな驚きました。本堂の下の不動明王のところで水を飲み、休憩所へと急ぎました。休憩所では弁当を食べたりお茶を飲んだりしてからゆっくりお土産を買うことができました。ゆっくり休んでからバスが停まっているところへ行き、いよいよ三十三間堂へと急ぎました。三十三間堂妙法院所属の境外仏堂になっており、内陣の柱の間が33間あるところからで三十三間堂の名で知られています。縦が65間2尺3寸、横が9間1尺8寸あるそうです。本尊の十一面千手観音と裏側の廊下にある風神雷神二十八部衆は国宝で千一体の十一面千手観音重要文化財です。堂内では坊さんがマイクを使って説明してくれたのでよくわかりました。十一面千手観音の千体仏は一体一体で鑑賞するよりも群像の美しさ感じないわけには行きませんでした。また裏側の廊下にある風神雷神二十八部衆も良かったのですが、何しろ時間がないのでよく見れませんでした。今考えてみるとほんとうに残念でした。三十三間堂は京都観光中の最高のところだと思いました。

それから京都駅に行き、汽車に乗り、大きくなってからまた京都に来るのを望みながら奈良へと向かいました。

 

 

京都関係の写真が二枚見つかりました。この写真は画面右の四角い表示から三井寺の鐘楼の前とわかりました。三井寺はその後に観光したことはありません。次に京都へ行く機会に訪れてみたいものです。

 

この当時のスナップ写真は貴重です。社会科のK先生が一眼レフを持っておられて撮影してくださったのです。

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Webで三井寺を調べてみました。三井寺の金堂の前です。内部の像などの記憶はありません。

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