Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

本の紹介

中軽井沢駅に図書館があり、電車の待ち時間を過ごすことにも便利です。利用できます。有名な観光地の一部ですが都会の中の図書館とは違うゆったりとした時間が流れているように感じます。

先日(7日)の軽井沢への旅で少しの間立ち寄りましたが、新刊書のコーナーで偶然手にしたビジュアル物理全史をめくってみたらTensegrityが出ていました。ということで購入しました。

1948年にケネス・スネルソンが「Xピース」というテンセグリティ構造を作品として発表した。のちにバックミンスター・フーラーは、この種の構造を指す「テンセグリティ」という言葉を作り出した。とありました。

これまでに調べた生成の時期より10年は早いことがわかりました。

この本の最後は 100兆年以降 量子的復活 とある。冒頭には、宇宙の運命は未知で、私たちの宇宙が「芽を出し」永遠に宇宙創成が続くと仮定する理論家たちもいる。など。

夢のある話のようですが、夢があるかないかもわからない天文学的時間の語りです。ボケ防止として、とにかく分からないなりに読んでいきます。

 

f:id:niigata-art226:20191219091458j:plain

今の所雪は降っていません。暖冬で嬉しいところですが、スキー場には降ってほしいと思います。

雪遊び博覧会2020に向けて

先日東京の大丸の8階くらいにある文房具コーナーでで、お祭り用品にふさわしいと思って手に入れた紙製のストローを利用してみました。

お祭りにふさわしいモニュメント=立体デザインを構想しています。

f:id:niigata-art226:20191218150026j:plain

f:id:niigata-art226:20191218150031j:plain

雪あそび博覧会のサイトに「第9回山ぞりまつり」が案内されています。ご覧ください。

www.echigo-tsumari.jp

 

来年に向けて

来年用のポケット手帳を買いました。表紙は黄色から赤みがかったピンク、小豆色(この呼称でいいかわかりませんが)にしました。手帳は毎年使用していますがかなりいい加減な使い方です。来年度は丁寧、読みやすい文字で記入などを意識して使用したいと考えています。あと二週間で今年は終わりです。明日に向けて制作へのモチベーションを高めていきます。

f:id:niigata-art226:20191217100106j:plain

先日の九州旅行の記事に付け足しです。海老沼造園から送っていただいたムカゴは茹でてそのまま食し、またチジミのように調理して食しました。珍しい外観となりました。

また、長崎で2度食したちゃんぽんの冷凍製品が某コンビニに売っていることがわかり購入し食しました。これから、月に一回は食べたいと思うようになりました。

f:id:niigata-art226:20191217100109j:plain

 

年年歳歳花相似

毎年この時期に咲くシャコバサボテン。今年も咲いてくれました。赤とピンクが混ざって風情を高めてくれています。

f:id:niigata-art226:20191216124025j:plain

冬囲い作業で切り落とした山茶花を生けたもの。午後3時頃の南側からの光に映えていました。

f:id:niigata-art226:20191216124027j:plain

今日は温暖な感じです。

12月10日の月です。

f:id:niigata-art226:20191216124541j:plain

とりあえず。

一年回顧その8

柿の木プロジェクトのルーツである海老沼造園(海老沼正幸さん)を訪問したのは11月24日。偶然にもローマ教皇の長崎訪問の日と同じになりました。

このことについては先日のブログで触れていますが、植樹をさせていただいたのが2000年の2月。19年目にして念願の表敬訪問となった次第です。

お世話になりっぱなし、ということでは心が晴れません。今回の訪問で、歓待を受け重ねてお世話になってしまいましたが遠い長崎まで陸路で訪ねたことで、プロジェクト自体の時空の広がりの大きさが身体に刻まれたように思えます。

写真は海老沼造園の柿の親木の場所を案内していただいた場面です。薄暗くなった中でワイフが撮影してくれた貴重な一枚です。

f:id:niigata-art226:20191215090213j:plain

 

niigata-art226.hatenablog.jp

一年回顧その7

tensegrityで6.15~6.30 新潟のgallery HAFUで個展をしました。その後、樹下美術館で庭と館内でインテリア的に5~6点展示させていただき、以後少し休止し、10.26に東大のオープンキャンバスでtensegrityを建築で世界初の展開をされている川口先生にこれまでの成果をもとにお話しすることができ、感激。ようやく最近、制作へのモチベーションが高まってきています。

 

昨日制作。2段重ねタイプ。

f:id:niigata-art226:20191214082618j:plain

 

初雪が降りましたが、その後温暖な気候で釣りも11日に再開。最大で15cm程度の釣果でした。釣りには癒されます。

 

f:id:niigata-art226:20191214083504j:plain

 

雪あそび博覧会のサイトに「第9回山ぞりまつり」が案内されています。ご覧ください。

www.echigo-tsumari.jp

一年回顧その6

表現に関わるものとして「平和の少女像」などを展示した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展『表現の不自由展・その後』が、開催から3日間で中止に追い込まれた問題は他人事ではありません。が、展示された作品を見ていないので正直どう反応したら良いか今だに自信がありません。

 

再開に反対する河村名古屋市長のパフォーマンス。(テレビ報道を撮影)

f:id:niigata-art226:20191213114844j:plain

この問題が起きて、いろいろな報道に触れてきて、自分の中のうまく説明できない違和感を感じつつ無為に過ごしてきたようなものです。が、ほんの最近偶然に小林秀雄の角川文庫「常識について」で昭和29年のエッセイの「自由」に出会って目から鱗でした。鱗が落ちたのはリバティーとフリーダムの違いのことです。私のフリーダムから見えた考えが私の考えでそれを整理しなければなりません。

日本には自由という言葉しかありません。何を表現しても自由であり、その反対語として不自由ということになります。作品をどう見ても自由、解釈は自由などというわけですが、その表現の意味構造にどれだけ自由が内包されているか、お互いに適度なスタンスで向き合える批評的地平が構築されているかが問題であると考える次第です。

 

小林秀雄は「自由」で次のように述べています。(全文)

 ハーバート・リードという英国の批評家の本を読んでいたら、自由という言葉について、面白いことを言っていた。英国人は、自由を言うのに、リバティーという言葉とフリーダムという言葉と二つ持っている。正しい語感を持った英国人なら、この二つの言葉の意味合いの、或はニュアンスの相違を、はっきり感得して使い分けていると言うのである。例えばフランスの実存主義者達が、自由について、長たらしい、曖昧な議論をしているのも、フランス人はリベルテという一語しか持っていないところから来ているので、イギリス人の自分には一向面白くもない。「自由自体によってしか制限されない自由」などと苦しい言い廻しをしているが、英国人ならフリーダムと言えば、一と言ですむところだという。人は、リバティーを与えられている。リバティーは市民の権利だ。だが、フリーダムという言葉は、そういう社会的な実際的な自由を指さない。それは、全く個人的な態度を指す。フリーダムとはもともと抽象的な哲学的な語であって、フリーダムが外部から与えられるというようなことはない。与えられたリバティーというものを、いかに努力して生かすかは、各人のフリーダムに属する。自己を実現しようとする人は、必ず義務感と責任感とを伴うフリーダムを経験するであろう。例えば芸術家の、創造のフリーダムとはいうが、創造のリバティーとはいわぬ。リバティーとはフリーダムという価値の基盤に過ぎない、云々。

 リードは、いろいろ説明に苦心しているが、大体そういう意味合いで、この二つの言葉は、英国人に使い分けられているらしい。概念的に説明しにくいということは、言葉が生きて使われている証拠であり、私は英語には不案内であるが、もしそういう次第であれば、英国人の自由に関する常識は、まことにうらやましいことだと思われたのである。

 日本には自由という一語しかないのだが、それで、フランス人のようには、べつだん不便も感じていないようである。自由主義者になるのには、自由という一語しかないほうがよほど便利かもしれない。
 言論の自由を与えよ、というプラカードの下に、いくら沢山な人が行進しようと、自分の苦心創作になる言論をだれも持っていなければ、自由の死骸を求めて、歩いているようなものだろう。
 精神の自由は眼に見えない。黙々として個人のなかで働いているし、またそれは個人にしか働きかけない。精神の自由を集団的に理解する事は出来ない。そういう事実が、実は、文化の塩となっているのであるが、文化問題について大風呂敷を拡げたがる人々には、精神の自由などは空言に聞えるのである。文化論の論題の単位は、日に日に大きなものになってゆく。それにつれて扱われる実相の曖昧さも急速に大きくなってゆく。曖昧さを糊塗する為に、論者は、いよいよ華々しい、もっともらしい言辞を必要としてくるだろう。
 文化論は、学問でもなければ批評でもない、活字のお化けになってゆくであろう。

                         (昭和二十九年一月九日)

一年回顧その5

NY Japan Societyでの「荒野のラジカリズム展」に前山さんと共に招待されて10日間のツアー。これまでのアート人生でで最大最高の出来事でした。NYの会場、自作コーナーで前山忠さんと記念の一枚。

f:id:niigata-art226:20191212090328j:plain

最後の美術館巡り。フィラデルフィアー美術館のデュシャンの作品前にて。

f:id:niigata-art226:20191212090330j:plain

Japan societyの前にてお別れの一枚。前山さんに撮影してもらいました。

f:id:niigata-art226:20191212090333j:plain

 NYツアーについては3月15日からのブログで取り上げています。ご覧ください。

niigata-art226.hatenablog.jp

 

一年回顧その4

11月4日の某テレビに取り上げられた有名なストリート・アーティスト バンクシー

ニュースです。

関係者による覆面芸術家の制作風景のスクープというわけですが自作自演・共犯的なものかもしれません。あらかじめ型紙を作ってことに臨んでいることがわかりました。

f:id:niigata-art226:20191211085505j:plain

 

一年回顧その3

台風19号の甚大な被害が明らかになる前日9月12日の天気予報です。多発した河川の決壊、住居への床上浸水、土砂崩れ、農業被害、北陸新幹線車両の水没、100人に及ぶ死亡者など被害の予想は全くできませんでした。

被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

f:id:niigata-art226:20191210085721j:plain

北陸新幹線車両基地の惨状

f:id:niigata-art226:20191210092754j:plain

 

一年回顧その2

宇宙関係の再放送番組で ティーヴン・ウィリアム・ホーキング: Stephen William Hawking1942年1月8日 - 2018年3月14日)が無重力遊泳された場面に感動しました。27 April 2007の話ですが初めて見ました。

f:id:niigata-art226:20191209101232j:plain

 

f:id:niigata-art226:20191209101150j:plain

 

 

 

日米開戦記念日

真珠湾攻撃から78年

今日は日本が真珠湾を奇襲攻撃したという日米開戦の記念日です。これまでの認識として、この真珠湾攻撃が奇襲という言葉と共に頭に入っていることに疑念を持つことはありませんでした。しかし最近は、米国は日本の攻撃の裏をかき、奇襲をさせて被害者になって国民世論を開戦論に導き、徹底的に日本を打ちのめす口実としたとする見解に至っています。

戦争の最後の大攻撃は広島に続く長崎原爆でした。

 

先月23日の九州への旅での新幹線内でローマ教皇日本訪問関連の朝日新聞の記事を読み、ローマ教皇が長崎を訪問されるその日に自分も「長崎被爆柿の木のルーツを訪ねて」長崎へ行くという偶然の必然を感じた次第です。

今日はその日の新聞記事の「焼き場に立つ少年」に関する切り抜きを謹んで転載させていただきます。

 

f:id:niigata-art226:20191208172209j:plain

本日はワイフの母親の妹さんのお葬式に出席してきました。92歳と11ヶ月まで生きられて3人の子供さんに看取られて静かに息を引き取られたとのこと。まさに大往生されました。葬式は家族葬をいう形で行われました。初めて家族葬へ出席しました。

いつか自分もこの世から去らなければなりません。どのような葬式にするか真剣に考えたいと思いました。

 

初雪の情景

毎年のことですが、初雪を迎えると冬籠りという感覚になります。雪の白に花や葉の色が織り成す対照の映え、この情景が雪国人に宿命の美学と言えるものです。

f:id:niigata-art226:20191207074246j:plain

f:id:niigata-art226:20191207074257j:plain

f:id:niigata-art226:20191207074309j:plain

f:id:niigata-art226:20191207074249j:plain

 とりあえず。

先日購入していた大人の休日倶楽部の切符がまだ有効なので軽井沢に行ってくることにしました。

軽井沢までほぼ1時間。乗り継ぎの時間が4分ほどで慌てて走りました。中軽井沢駅へ。

f:id:niigata-art226:20191207171628j:plain

軽井沢行きの主な狙いは西沢立衛の建物を見に千住博美術館でした。千住博の作品は2点あった初期の作品に惹かれました。滝や水をテーマにした最近のものは見栄えはしますが技巧が目立ってそれほど感心しませんでした。

f:id:niigata-art226:20191207162346j:plain

 

続いて新婚旅行の思い出のある万平ホテルでランチ。行きはタクシーを利用、帰りは徒歩。軽井沢ニューアートミュージアムへ。

ニューアートミュージアムでは今井俊満堂本尚郎の作品をじっくりと堪能することができ良かったです。

草間彌生は初期の1950~1966年の作品を興味深く拝見。具象も抽象もない赤裸々で抑制の効いた幻視的なイメージが表現されていました。その天才ぶりを改めて感受。また1953-1984と年代が記されている初期のエッチングモノクロ版画11 点は網や格子、ロープ状で空間生成され現在の大画面に順接しているようでした。その他、一階の画廊スペースにあった草間さんの版画作品の値段が超高いことにびっくり。小さなかぼちゃをモチーフにした版画で500万円以上していました。

f:id:niigata-art226:20191207162435j:plain

婁正綱の作品のところだけ撮影okでした。大いにSNSに載せて宣伝してくれということでしょうか。

f:id:niigata-art226:20191207162438j:plain

婁正綱の作品。アクリルによる水墨画的、アクション的アプローチと受け止めました。

f:id:niigata-art226:20191207162702j:plain

f:id:niigata-art226:20191207162657j:plain

f:id:niigata-art226:20191207162655j:plain

f:id:niigata-art226:20191207162653j:plain

別件ですが往路で上田を過ぎたあたりでスマホに親戚の訃報があり、本日お通夜とのこと。少し日程を早めて帰路につきました。

 

3つの展覧会

4日は孫の発表会を見た後、Web情報で埼玉県立近代美術館のニューヨーク・アートシーンにNさんの作品も含まれているとあったので大宮から京浜東北線で出かけました。ところが、Nさんの作品は展示されていませんでした。デュシャンやウォーホル、篠原有司男など楽しめましたが、Nさんの作品を見るのを主な目的として行ったのに本当に残念でした。

f:id:niigata-art226:20191206113235j:plain

 

昨日は大嘗宮を参観してランチの後、近美をみました。窓展は一部撮影OKだったのでいくつか撮影をしましたが、間違ってデュシャンの作品をツーショットを撮ってしまいました。その作品の表示を見るのを忘れていました。窓をキーワードにしたスッキリとした展示でした。 

f:id:niigata-art226:20191206121322j:plain

 

この後、地下鉄を乗り継いで広尾まで行ってお茶をし、Misa Shin Galleryで小沢剛展を見て恵比寿駅に出て帰路につきました。

www.misashin.com

山手線に乗りながら品川駅から、田町駅までを車窓から眺めて高輪ゲートウェイ駅の工事の様子を見ようとしました。もう暗くなってよく見えませんでしたがかなり広大な距離で工事中のことはわかりました。

東京駅で時間つぶしに新幹線の南口の前のEcuteTokyoを散策していて、小岩井農場のお店に気づき、Mさんとの交流を思い出し、瓶詰めのバターがないか探しました。あいにく瓶詰めバターはありませんでしたのでチーズとヨーグルトを購入。Mさんに依頼されて石を送ったら同じ重さの小岩井農場の瓶詰めのバターが送られてきました。50年前のささやかな作家同士の交流の思い出です。そんな小岩井農場を観光してみたい気持ちがあります。

f:id:niigata-art226:20191206113231j:plain



大嘗宮の見学

一生に一度の機会と思い義兄夫婦と待ち合わせして大嘗宮の一般参観に行ってきました。皇居の敷地に入ったことは初めて。東京駅丸ノ内中央口から9時40分頃に歩き始めて入り口の坂下門迄の間二重橋近くを通って大きく蛇行していきました。本当にたくさんの人がぞろぞろと歩いていました。晴天で助かりました。

f:id:niigata-art226:20191205212351j:plain

戦国武将の門、砦の入り口として堅牢な建物ということが伝わってきました。

f:id:niigata-art226:20191205212400j:plain

坂下門から入り、乾通りから西桔橋(にしはね橋)を通るコースで行きました。

f:id:niigata-art226:20191205212411j:plain

乾通りの四季桜

f:id:niigata-art226:20191205212424j:plain

f:id:niigata-art226:20191205212435j:plain

江戸城の本丸跡

f:id:niigata-art226:20191205212446j:plain

大嘗宮の裏側が見えてきました。ここからまた大きく蛇行して正面方向に曲がっていく感じでした。

f:id:niigata-art226:20191205212500j:plain

と中バラが咲いていました。

f:id:niigata-art226:20191205212511j:plain

大嘗宮の正面が見える位置にきました。大嘗宮はまだ100m以上向こうにあります。義兄より撮影してもらいました。

f:id:niigata-art226:20191205212523j:plain

徐々に近づいていきます。

f:id:niigata-art226:20191205215125j:plain

f:id:niigata-art226:20191205215137j:plain

f:id:niigata-art226:20191205215149j:plain

f:id:niigata-art226:20191205215050j:plain

大嘗宮正面。たくさんの人、ゆっくりと立ち止まることはできません。ワイフから撮影してもらいました。

f:id:niigata-art226:20191205215038j:plain

f:id:niigata-art226:20191205212535j:plain

f:id:niigata-art226:20191205215103j:plain

左サイドにあった東屋風の建物なら個人住宅に建てられるように思われました。

f:id:niigata-art226:20191205215114j:plain

裏側からの大嘗宮です。

f:id:niigata-art226:20191205212547j:plain

左方向に歩いて竹橋駅の方向に出ました。

f:id:niigata-art226:20191205212558j:plain

パレスサイドビルの地下で和食で昼食しました。

とりあえず。