日本二十六聖人殉教地
出島にて。ミニ出島が作られていました。
グラバー園にて
いただいた獅子柚子の一番大きなものは1kg 以上ありました。
とりあえず。
師走に入りました。一年を振り返ることにします。
1月よりNY旅行の準備。
2〜3月に第8回山ぞり祭りの準備と実行。
3月6日から15日の日程でNYへ10日間の旅。
初めてのビジネスクラスの旅。
荒野のラジカリズム展 March8-June9関係の開会の諸行事に参加。富井玲子、神谷幸江さんお二人のキューレターのおかげでこれまでの人生の中で最高の晴れ舞台に立たせていただいた。たくさんの皆さんとの交流および消化しきれないほどの見聞の記憶。鮮明な記憶、そして既に忘れてしまっていること。
グランドゼロにて。松澤姉妹との記念のスナップ。
次々と思い通りの活動を展開することはできない。連休にワイフの古希を祝う会。
しばらく心を休ませる。
5月10日にアトレア川口。その後、聖蹟桜ヶ丘の歯科医院にTensegrity作品を設置。近くの健康ランドで高校時代の友人M君と一泊。翌日、京王府中駅より出発。 京王線 調布駅 橋本駅 横浜線 横浜駅 みなとみらい線 新高島駅にて下車。
BankArt Station スタジオアーティスト宮森敬子さんらの制作風景を見学。宮森さんはNYでお会いした方。主宰の池田修さんに会う。
5月11日にはM君の案内で東京競馬場を見学。巨大な娯楽施設と知る競馬場は初体験。
その後、急遽新潟のギャラリーHAFUでの個展をすることに。会期は6.15〜6.30。このために100以上のテンセグリティモデルを作る。この展覧会のために自家用車で新潟往復5回。
その後、拙作の「石を送るメールアート50周年」に向けて知的エネルギーを傾注。米国に2個、国内に4個(内自分に一個)を送り、企ては全て無事成功。
8月は子供づきあい、孫づきあいなど。
一息ついて「ふれ美」展 2019年9月15日(日)〜10月7日(月)。同時期に行われた池田美術館での原田哲男展は素晴らしかった。
10月13日からの台風19号で北陸新幹線が不通になり14日に伺う予定だった軽井沢での宮森敬子展鑑賞を断念。
10月22日には十日町市展の審査員(2度目)を務めさせていただく。貴重な学習をさせていただく。
今年は特記すべきことがたくさんであったが、異色なのは退職13年目にしてかつて勤務したことのある某中学校のピンチヒッター美術科講師を引き受けて9.10〜11.19無事勤務したこと。教えることを通してアートについて考え直すことができて大いなる意義あったように振り返っている。
この勤務の途中年休1日を行使。10月26日の東大柏の葉キャンバスのオープンキャンバスに参加。運よくTensegrityを研究しておられる川口健一教授に面会しお話を伺うことができた。これまでの3冊の小冊子の作例(ほとんどがコンセプトモデルで大作は数例)を見ていただき好意的なコメントをいただくことができた。本当にありがたいことでした。
この際にMisaShin Galleryに寄った際に大分市美術館での「磯崎新の謎」展の招待券をいただく。そのことで決意し、中学校の勤務を終えた直後のタイミングで九州旅行を計画する。九州旅行は11.23〜11.26。
旅行の主目的は大分市美術館での「磯崎新の謎」展。館長の菅さんは2007年のドクメンタツアーでご一緒した知り合い。別府温泉泊。別府観光地獄めぐり2時間コース。
長崎へ。2000年の2月に三条市月岡小で植樹をさせていただき、またその10周年でもお世話になった柿の木プロジェクト(長崎被爆樹)のルーツの海老沼造園への表敬訪問。
長崎市駅近泊。3時間観光タクシーを利用。長崎原爆関連施設への参拝と長崎観光。
長崎原爆資料館にて。
長崎より引き返す。大阪駅近で泊。
大阪では国立国際美術館鑑賞(招待状あり)。
帰路に京都に下車して息子がお神輿の会員という縁により瀧尾神社に参拝。
紅葉狩りの人混みにつられて初めての東福寺へ。そして、智積院、東寺参拝。東寺は新婚旅行で訪れたところ。NYと共に実り多きな旅行となった。
その他、孫支援と付き合いで何回か外出の機会があった。
10月にはNYでアトリエ訪問させていただいたJaarの関係でスタッフの大野さんが新潟に見えられて交流。26日に上京した際にJaarさんの2箇所での個展を見る。
師走に入ってようやく日常に戻った感覚。
今後、2月29日と3月1日に第9回山ぞり祭り開催が決まっている。
新鳥栖から新大阪へ。新大阪より大阪へ。駅から歩いて10分のホテルを探すのにてまどり苦笑。大阪だからたこ焼きを食べようとするもホテルの近くにはなかなか見つからず諦めて餃子をテイクアウト。
翌日はバスで国立国際美術館へ。クリムトとシーレ以外は知らない作家ばかり。日本より約100年前の近代の成熟がよく理解できました。今のウィーンのことを知りたいと思いました。
美術館より地下鉄入り口まで歩いて10分近く。大阪駅から快速で京都まで。京都で荷物を預けるのに一苦労。奈良線で一駅の東福寺まで。着いてみるとかなりの人混みでした。駅前で大阪で食べれなかったたこ焼きの看板を見つけて昼食。たこ焼きとお茶漬けでした。その後、歩いて100mくらいのところに瀧尾神社がありました。ここの御輿担ぎの会に息子が入っているということで参拝に伺った次第。
拝殿の天井に龍のレリーフ。
瀧尾神社参拝を終えて駅に戻るとますますの人混み。旗を先頭に50人くらいの団体が東福寺の方向に歩いてゆきます。ぞろぞろと紅葉狩りツアーのようです。これは行ってみる価値がありそうだと初めての東福寺へ向かいました。休日でもないのに東福寺は大変な混みようでした。
東福寺では入館と方丈、龍吟庵の拝観券で1300円かかりました。紅葉の他に重森三玲の「八相の庭」「龍の庭」「不離の庭」「無の庭」などの石庭が見る目を惹きつける優れものでした。
続いて、東福寺駅方面へ歩いて途中タクシーを拾って学生時代の研修ツアー以来50年ぶりに智積院へ。
国宝の展示室から出て講堂へ。池と築山のある名勝庭園に面した部屋がレプリカの楓図と桜図。まさに絢爛豪華でした。
智積院を出たところのバス停に着いたら東寺行きのバスが来たので急いで飛び乗りました。途中で乗り換えがあり、東寺東口から入館。講堂、金堂、五重塔を拝観。5時ギリギリに出口へ。
時間は16時22分です。
その後バスに乗って5条通りくらいまで行って、結局タクシーで駅まで。駅近の焼肉店で夕食。京都19:10の電車で金沢まで。そこから北陸新幹線21:35発で1時間ほど。無事帰宅しました。今回の旅行で京都までは約3時間ということで意外と近くなったと感じました。
25日は9時より3時間コースの観光タクシーで市内観光しました。平和祈念公園、原爆爆心地、長崎原爆資料館、浦上天主堂、二十六聖人殉教地、オランダ坂、諏訪神社(被爆鳥居、楠木)、眼鏡橋、出島、グラバー園、大浦天主堂など。最後はグラバー園から降りたところでランチしました。
念願の原爆の地長崎への巡礼、お参りができ、心の支えが少し取れたました。
二人の写真は運転手さんに撮影していただきました。親切で説明も上手な運転者さんでした。
平和祈念像に祈りを捧げました。
折り鶴の塔は祈念像の両側にありました。
原爆資料館にて
小倉の天候が悪く視界が効かなかったという認識でしたが焼夷弾によることがわかりました。何れにしてもはっきりとした原爆の爆発映像を残すために長崎が選ばれたということです。
ローマ教皇が訪れた翌日ということで印象に強く残りました。
被爆鳥居
諏訪神社の被爆楠木。写真の日付と時間は12時間ずれています。25日の10時21分が正しいです。NY時間に設定したままでした。
ご存知、眼鏡橋
グラバー園最上部の入り口近く。
グラバー園から出たところに大浦天主堂がありましたが、入館はしませんでした。次の機会の楽しみにとっておきます。
グラバー園から下りた長崎ちゃんぽん発祥のお店の四海楼で名物シャンポン麺と皿うどんを食しました。5階の店内から長崎港の眺望を堪能することができました。
グラバー園付近の大浦海岸通り駅から長崎駅方面へ路面電車に乗りました。
駅のイベント広場で長崎くんちの龍踊りを見ることができました。アンコールの言葉は「もってこい」ということを覚えました。3度くらいアンコールに応えてくれました。
駅ビルでお土産などの買い物をして宅急便で送りました。
長崎発特急カモメ30号の乗車。新鳥栖で乗り換えて大阪まで。
16日に2000年に植樹した新潟県三条市月岡小学校の長崎被爆柿の木の子孫の成長を確かめに行ってきました。標柱が新しくなっており、本当にありがたく思いました。
植樹20周年を迎えようとしているこの時期に、最後のチャンスという気持ちで柿の木プロジェクトのルーツを訪ねる長崎への旅を計画しました。
道ノ尾駅からはタクシーで海老沼造園へ向かいました。到着したところは住まわれているところでした、そこから車に乗せていただいて約5分くらいで農場に連れて行っていただきました。着いたところは本当に広大な農場でした。
大きな山の平らな峰の部分を中心に作業小屋、車庫、事務所などの建物があり、柿の木を含む沢山の果樹畑が広がっていました。
奥様は最初の植樹式にご出席くださいました。ご主人は10周年の記念行事にご出席くださいました。長崎から三条へはるばるとおいでいただいのです。ご主人とは9年ぶり、奥様とは19年ぶりの再会でした。
広大な農場を30分ほど案内してくださいました。柿、ミカン、ゆず、キュウイ、オリーブ、各種の野菜など本当に沢山育てておられ、また庭石も沢山ストックされていて規模の大きさに驚くばかりでした。
柿の木の畑です。
月岡小の親木と伺いました。
タネから芽が出て、どんどんと成長するのだそうです。気候が良いのでしょう。この小さな木がもう2〜3年成長して各地で植樹されるとのことです。
鈴生りのゆず。普通のサイズ。
とても驚いたものが獅子ゆずでした。このような子供の頭くらいの大きさのものを見たのは初めてでした。あっという間に時間が経ち暗くなってしまいました。
住まいの近くの中華料理のお店で歓待を受けました。大変美味な長崎の中華料理をいただきました。角煮饅頭、ごま饅頭、ちゃんぽん麺、皿うどんなどが記憶に刻まれました。
5年以内にまた長崎を訪れることを約束しました。
柿の木プロジェクト、その意味を確実に繋いで行かなければならないと改めて決意した次第です。
大分から移動して別府温泉で一泊。別府には八つの温泉があることをホテルに着いてから知りました。別府温泉は駅近にあり無色透明の湯でした。
翌日24日は9時よりタクシー2時間コースで別府観光「地獄めぐり」をしました。
間欠泉の龍巻き地獄 運よく、タクシーが着いた時にタイミングよく噴き上がっていました。
コバルトブルーの海地獄
プクプクと坊主頭のような泡が出ては消える坊主地獄
湯気が沢山昇っている写真は鉄輪(かんなわ)温泉という名称で駅から3KMくらいの感じでした。次はこの温泉に泊まってみたいです。
観光タクシーの運転手さんはとても心配りの細やかな方で良い思い出になりました。
それぞれの地獄の入場券です。
次の写真の時間は合っていません。24日の11時13分が正しいです。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案するなど別府温泉を有名観光地にした駅前にある油屋熊八さんの像です。
別府発11:54の電車で一路長崎へ。目的は2000年の2月に参加した宮島達男さんの「柿の木プロジェクト」の被爆柿の木のルーツ海老沼造園を訪問すること。
折しも、長崎はローマ教皇さんの訪問日でした。4時頃にホテルに着いてすぐに道ノ尾駅向かう電車に乗り込んだところ、浦上駅から沢山の教皇訪問関係の資料を持ったみなさんが乗車。すごい満員の混みようになりました。
道ノ尾駅からタクシーで海老沼造園へと向かいました。
今回の旅行で訪れて、会って、見て、話して、学び、得てきたものはとても意味深いものばかりでした。ブログに取り上げることは私自身の実力が試されることにもなります。
「磯崎新の謎」展 <いき><しま>編
第一展示会場入り口の鏡を使ったインスタレーション「Angel Cage」
第2展示場
孵化過程 1962/1997 ミクスト・メディア 122x243x35
磯崎さんの建築の生成に係るコンセプトモデルと言えるものです。建築につながる考えを表した参加型のアート作品であり、一番見たかった作品です。厚めのコンパネに釘が沢山打たれ、赤、青、黄色のカラーワイヤーが縦横無尽、自由で複雑怪奇に張り巡らされ、その上に石膏のような白い物質が溶岩が流れて徐々に固まったような形状で、得体の知れない生き物がのたうち廻っているかのように見えました。
常設展コーナーでネオダダのコレクション展示があり吉村益信さんの作品、関係写真、赤瀬川さんのトマソン関係などが沢山展示されていて楽しく拝見してきました。吉村さんと磯崎さんの交流を示す貴重な写真を写させていただきました。
昨日のブログ忘れてしまいました。とりあえず。
昨日でピンチヒッター勤務は終わりました。
娘家族から労いの花束が宅急便で贈られてきました。帰宅して風呂に入っていた時にピンポンが鳴ってびっくりしながら受け取りました。
まだ残務があります。本日も出かけます。頑張ります。
学校では成績処理などで一日過ごしました。
一年の女子生徒から折りバラのプレゼントをいただきました。そして、このバラの折り方を教えて貰いました。今後の折り方のレパートリーを増やすことができたように思います。