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美術教師と作家の両道を紡いで-2
堀川紀夫(Horikawa Michio)
5 教師と作家の活動
68年4月に十日町市立中条中学校教諭に採用された。そこは作家としての生き方を決定づける運命の場所となった。学校近隣を流れる信濃川の石を拾い後述の「石を送るメール・アート」を生み出すことになったわけである。
教師として、初任者研修もなく生徒の前に立った。前山忠の例に倣って最初から現代美術の良さを直接的に生かす題材開発を志向した。観察より想像を基にした表現を重視する路線だった。自由に自分を版画表現する「心の自画像」、雑誌や新聞を使った「世相コラージュ」、「心の世界」をテーマにした想像画、新素材の紙塑粘土に新素材の蛍光塗料で彩色する「オブジェ題材」などを開発した。文化祭ではその蛍光塗料のオブジェにブラックライトで照らして異空間を演出したりした。両道の関係は「近付き過ぎず離れず」を肝に銘じていた。採用1年目の終わりに前山と生徒の版画作品の交換展をしたこともあった。
当時十日町市には前衛的アートを追求する朔風会(さくふうかい)という若者の美術集団があり、その働きかけで市展には洋画部門とは別に「新しい美術部門」が設けられ、活動しやすい土壌があった。下宿先は屋根板金業を営んでいた。私の部屋はその作業場の2階だった。そこで新素材の鏡面ステンレスに出会って、キャンバス地の上着の作品に順接する等身大のネクタイのオブジェを制作。続いて、綿のゴム紐に蛍光色を塗り空間に張り巡らす作品を制作。思い付いた表現になりふり構わずに挑戦していった。
作家として創作へのアイディアをメモするように心がけ、思いついた表現の実現に努めた。熟考せずに制作を急いで駄作を生み、落選の憂き目に会うなどで金銭的に窮したこともあった。瀧口修造が邦訳した高額な「マルセル・デュシャン 語録」が発行されたので購入したが、そこから創作につながる視点を導き出す力はまだなかった。
69年の美術手帖2月号に石子順造により高松次郎個展での新作、石に数字を書き込んで銀座裏通りの街路樹の根元に置くなどの「石と数字」作品が取り上げられていた。その後同誌に欧米発のエアー・アート、アース・ワーク、また貧しい芸術など新しい視点によるアートの特集記事が連続した。同年5月の毎日現代展には河原温の絵葉書によるメール・アート「Pictorial Diary」の実物展示があった。
私は新しい創作を目指す中で表現に自然石が用いられているところに大いに注目した。勤務校から西へ約300m、歩いて5分くらいのところに日本一の大河信濃川が流れていて手に持てるくらいの玉石だらけの広大な川原が延々と広がっていた。石は身近なところに無尽蔵にあった。この石を生かした作品が作れないかと考えるようになった。また、メール・アートの制作費の安さ、見せたい人に直接送り届けることができるメリットに地元からの発信の可能性を強く感じた。
そんな過程で7月の半ばにアポロ11号の月面探査、月の石採取計画にリンクするアートを発想した。アポロ11号が月面探査で「月の石」を採取するのと同一の宇宙時間に「地球の石」を採取するという行為を考えた。それは突飛な発想であり実行をためらう気持ちもあったが1969.7.21(日本時間)に美術の授業時間に近くの信濃川の川原に生徒を連れていった。そして、トランジスターラジオでアポロ11号からの宇宙中継を聞きながら、「地球の石」を採取する「アース・ワーク」の体験学習を実施した。この時期、アート活動と美術教育が渾然一体的だった。
GUNの仲間の前山忠に送られた最初の石
その石を針金で結えて荷札をつけて「メール・アート」に仕立て、その当日の消印で美術評論家や自分を含めた作家11名に郵送した。
郵送先は 石子順造、郭仁植、関根伸夫、高松次郎、東野芳明、中原佑介、針生一郎、前田常作、松澤宥、GUNの仲間の前山忠と本人。氏名のアンダーラインはそれまでに直接会ったことのない人物の意味。この時の郵送相手から批評的な言葉を直接聞いたのは身近な前山忠だけだった。
このメール・アートを送った直後に勤務校の生徒会誌の「高陵新報」第51号の「アポロ11号に思う」という特集記事に寄稿した。(新聞は8月9日に発行)
「69721115620」
あの時私は何をしていただろうか。アポロ11号が月に到達し月面に人間が降り立った時‥‥。すばらしいイベントである。一言で言えば。しかし私個人の問題に還元してみた時、私は手をたたいて喜んではいられなかった。余りにも完全すぎた。余りにも美しすぎた。科学、いや人間の力の偉大さとともに、自分の力の無力を強く感じたのである。でも驚いてばかりいられない。私は月の石なんかには興味がない。このイベントをのりこえる思考を持とうそして、そこから新しく自己を見つめてみよう。視点を変えよう。思考の基底をかえよう。地球を月を水星をいや太陽系をいや銀河系を、もっと全宇宙をつつむ世界を考えよう。そして月の石を考えてみよう。世界は限りなく広い。その絶対的な広さを意識しよう。そしてその世界を外側からながめよう。
人間が月に立ち石を持ち帰ったところで宇宙は変わりはしない。変わるのは人間であり、思考である。
そして人間の物理的存在を考えよう。堀川という人間も宇宙の元素のある結びつきである。でも私は石でなかった。私は人間であった情念に満ちた。子供のように感動し、子供のように疑問を持とう。それが堀川が堀川であり人間である証明と言えよう。いろいろな面からものごとを考えようではないか。(7月26日記す)
この後、前山忠からの案内を得て8月10日の長野市での「美術という幻想の終焉」展のシンポジウムにフロアとして参加。パネラーで来ていた郵送相手の中原佑介や松沢宥に拙作について話を聞く自信はなかった。
同月に、最初の石の郵送相手の一人である前田常作が糸魚川市展へ審査員にこられ、そこに同種の作品を出品し、受賞という評価と助言を得ることができ、自分の中でこのメール・アートの成功を確信し、シリーズ作品としての展開を決意した。
8月末に荷札にタイトルを「The Shinano River Plan」と記載して、新たな10名に送付。すると予想以上の反響があり2ヶ月後の美術手帳11月号の李禹煥論文「観念の芸術は可能か」にコメント、作品写真、タイトル,作者名入りで取り上げられた。
BT編集長 宮沢壯佳さんに送られた作例
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Yahooニュースより転載
H2Aロケット47号機が7日午前8時42分に鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。搭載した月探査機などを軌道に投入し打ち上げは成功しました。 H2Aロケット47号機は午前8時42分に種子島宇宙センターから打ち上げられました。 H2Aロケットには、小型月面探査機「SLIM」とX線を使って宇宙を観測する衛星「XRISM」を搭載していて、三菱重工業によりますと、およそ14分後に「XRISM」を、およそ48分後には「SLIM」を切り離して予定の軌道に投入し打ち上げは成功しました。 小型月面探査機「SLIM」は月への着陸が成功すれば、日本では初めて、海外では先月のインドに続き5カ国目となります。
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再度のご案内
なおえつうみまちアートも明日と明後日の2日間となりました。このイベントにアート出品者として参加することで直江津へ出かける回数が5倍以上になり、街の細部にについて以前より認識が深まりました。
私の作品は水族館うみがたりの第一駐車場の芝生。第一駐車場はいつも混んでいますので屋台会館の駐車場を利用した方が便利です。お時間ありましたらごらんください。
本日はこれにて。