Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

希望の桜

我が母校の玄関に植えられていたしだれ桜が枯れて、どうなるのかと心配していましたが今日見るとひこばえが出ていました。まさに希望が出てきました。この希望の桜を見守っていきます。

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一昨日の釣果。キスの塩焼き。

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さて、原稿書きに取り組んで数ヶ月。

文章はどのようにでも書けるから難しいです。次代に残す文章ですので頑張ります。

前書きと後書き草稿の2です。

 

 

 

前書き

「石を送るメールアート(以下〈石〉)」は前衛表現を目指す「新潟現代美術家集団GUN」の旗印のもとで1969.7.21のアポロ11号人類史上初の月面探査、月の石採取に因み「地球の石」を同宇宙時に採取して生成しました。

 〈石〉のコンセプトは、ベトナム戦争の最中に「月の石より地球の石を考えよう」「月のことより地球の現実を考えよう」という素朴な願いでした。それが予想を超えて美術雑誌や新聞など色々なメディアに取り上げられ、翌年の中原佑介コミッショナーによる第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」に招待されるなどの大きな発表の機会に恵まれました。

 その後、生業の中学校の美術教師の傍らで作家として「石」の初打席満塁ホームランのような成果を発展させる野心を描きましたが新しい表現生成の展望は順接的には見えてきません。72年のアポロ17号のタイミングで「因み」の関係が切断され、〈石〉を自立的に継続することはできませんでした。自分の成した表現のメタが見えない。その確かな継続への理念と設計図が見えない。浅学と経験不足が根底にありました。 

 しばらくしてメール・アートとして「ゼロ円切手」を発想。その後自分の身体を直接使うBody Stampで原点を確かめ、80年代に入って雪国ならではの表現「Snow Performance」を発見し、ようやく自己評価力、メタ・アートの力に自信を持つようになりました。

その後は「Snow Performance」を継続し80年代末に、アクリル絵具を用いての表現に越境して活路を見いだすも、96年1月にはNHK人間マップ「先生は雪のアーチスト」に「Snow Performance」の話題で出演。その際に〈石〉も全国放映される機会に恵まれました。その翌年には、彦坂尚嘉によるアクリラート32号でのロングインタビューで〈石〉の再評価を得るなどで歩みを総括し、自信を持つことができました。そして、その記事がNYを拠点に活躍している美術史家の富井玲子の目に止まり、2001年のTate Modernの企画「Century City」展Tokyo セクションに選ばれました。そこで〈石〉に託した意味が全く色褪せてはいないことに改めて思いを馳せその再開を決意しました。

 08年に前山忠と「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」を出版。12年には新潟県立近代美術館で「GUN―新潟に前衛があった頃」を開催していただき〈石〉関係を網羅した展示がありました。16年には富井玲子が著作「Radicalism in the Wilderness」でGUNの「雪のイメージを変えるイベント」や〈石〉を世界に発信。18年のMisaShin Gallery個展では「Not a Stone’s Throw」と〈石〉に新しい意味が付加され、19年には「Radicalism in the Wilderness Japanese Artists in the Global 1969s」でNYデビュー。20年にはコロナ禍を受けてWebの Horikawa Michio | 4Columns に登場と〈石〉が脚光を浴びることが続いてきています。一つの表現が「たかが地球の石されど地球の石」で50年以上存命してきました。

 そんな経緯を振り返り〈石〉の歩みを確かめ、多数の皆様よりいただいたコメント、批評、撮影していただいた写真を時系列に綴り、これまでの富井論文2編に新たに書き下ろし1編を加えていただき作品集を編ませていただきました。

                                   

 

後書き

 

本書は身近な自然石に託した地球規模の夢の残欠を繋いで次代に残そうとする私の初めての作品集です。私の〈石〉を一方的に送付された皆様、展覧会関係者には、剥き出しの石の荷物という意表をついた郵便物で驚かせ、ご迷惑をおかけしました。送られた相手がどのように感じて受け取られているのか、それを慮ることが欠落していました。本書の覚書で皆様への敬称を略し名前を公表させていただきました。関係された皆様はよろしくご理解を、そしてその非礼をお許しくださいますようお願いいたします。

 

 〈石〉は幸いにも沢山の皆様より、私の当初の思考と実力を超えた生産的で高度な視点から受け取って批評、コメント、評価をいただくことができました。

 特に1969年の〈石〉が宮沢壯佳や松沢宥により大切に保管され続けてきていたことを知り大感激、感謝でした。結果として50年以上の〈石〉の物語が紡がれることになりました。このような作品の生成、評価の例は稀有で他に比較するものがありません。

 

 作家活動の30年目に富井玲子に出会い、〈石〉の夢舞台第1幕が始まり、2016年に富井の著作「Radicalism in the Wilderness」が出版され、そこから第2幕が始りました。私の〈石〉はNYの舞台で羽ばたきました。第3幕の監督はMisa Shin Gallery主宰の辛美沙。おかげで〈石〉が大いなる展示空間へ船出していきました。

 その後も〈石〉の歩みが続いています。今後、ポーランドZacheta National Gallery_Warsawとドイツのkunsthaus dresdenの企画展への出品が予定されています。ノルウエーのアート組織Carrieからの原稿依頼もあり、拙い文章ながら自己ドキュメンタリーの「美術教師と作家の両道を紡いで」を書きました。

 

 皆様の導きの元に〈石〉の50年を迎えることができ、私は想像以上に幸せな70歳後半を迎えています。

最後に、皆様に改めて「大感謝!ありがとうございました」を捧げます。出版にあたり、現代企画室の皆さんに大変お世話になりました。お礼申し上げます。

                     堀川紀夫 Horikawa Michio(2022.2.26)