拙作「石を送るメールアート」について回顧的な文書を作成しています。その一部を紹介します。
1969.7.21 の午前中に信濃川で生徒と一緒に石を採取。その後放課後に教務室でメールアート発送の準備をした。ハーフサイズのカメラで撮影。
前山忠に送られた第一号のNo4。その年末にGUNの数名で手作り作品集を発行することになり、それに掲載するために前山に依頼し、勤務地の須原村(現魚沼市)の写真家から撮影していただいた。
2014 年に松澤宥さん宅で富井玲子さんにより発見された第一号のNo7。大切に保管されていて感動でした。
以下は、この「石を送るメールアート」を送った直後に勤務校の生徒会誌「高陵新報」第51号に寄稿した文である。新聞の発行は8月9日。なお、この全文の公開は初めてである。
「69721115620」
あの時私は何をしていただろうか。アポロ11号が月に到達し月面に人間が降り立った時‥‥。
すばらしいイベントである。一言で言えば。しかし私個人の問題に還元してみた時、私は手をたたいて喜んではいられなかった。余りにも完全すぎた。余りにも美しすぎた。科学、いや人間の力の偉大さとともに、自分の力の無力を強く感じたのである。でも驚いてばかりいられない。私は月の石なんかには興味がない。このイベントをのりこえる思考を持とうそして、そこから新しく自己を見つめてみよう。視点を変えよう。思考の基底をかえよう。地球を月を水星をいや太陽系をいや銀河系を、もっと全宇宙をつつむ世界を考えよう。そして月の石を考えてみよう。世界は限りなく広い。その絶対的な広さを意識しよう。そしてその世界を外側からながめよう。
人顔が月に立ち石を持ち帰ったところで宇宙は変わりはしない。変わるのは人間であり、思考である。
そして人間の物理的存在を考えよう。堀川という人間も宇宙の元素のある結びつきである。でも私は石でなかった。私は人間であった情念に満ちた。子供のように感動し、子供のように疑問を持とう。それが堀川が堀川であり人間である証明と言えよう。いろいろな面からものごとを考えようではないか。(1969年7月26日)