その1
美術手帳 1969.4
1967年10月に新潟現代美術家集団GUNに創設会員の一人として入会。その後、5回の展覧会やハプニングに参加し、この頃には次の展開に悩むばかりの日々が続いた。
石子順造さんは創設展のシンポジウムに来られ、お会いして激励の声をかけていただいた方。現代美術という雑誌など色々と評論を書かれており、手に入れて読んでいたがこの美術手帳は当時の大スター高松次郎個展に関するものだったので詳しく読んだ。特に自然の石ころを作品に使っているところにその意味もよく理解せずに興味を抱いたわけである。
その2
美術手帳、1972年11号
高松さんのことを調べているうちに、「部分展」でもご一緒した事がわかった。当時、このコメントを読んだか記憶していない。
先ほど読んでみて、本当に明晰な文章であり、この当時の高松作品のコンセプトと一致していると受け止めて感動しています。
高松さんのアートのDNAを勝手連的に受け継ごうとしている者として、謹んで掲載させていただきます。
その3
美術史評というこの頃発刊された雑誌(創刊号 1972.8)に書かれているとあった。真木画廊で買って持っていた。この本もその当時しっかりと読んだかは定かでないのですが高松さんの「断片的文章」とタイトルされた明晰な文章が素晴らしいです。
その4
1970年5月の東京ビエンナーレ「人間と物質」展のカタログより。
見開き2pの構想スケッチとコメントのところを部分的にコピーさせていただきました。作品のコンセプトが明確に記されています。
この作品のセッティングの際にサングラス姿でのみと槌を振るう現場を目撃させていただいて撮影させていただいたことは私の一生の宝物になっています。
その5
今日も叫びます。ロシアは直ちに侵略を停止し帰国せよ!
本日はこれにて。