Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

宮沢さんの石

昨日は展覧会
Radicalism in the Wilderness:Japanese Artists in the Global 1960s
Japan Society(NY)
March8−June9,2019
のキューレターの富井玲子さんが出品作品の集荷をされることのサポート役で町田市国際版画美術館まで出かけて来ました。1969年に当時のBT編集長の宮沢壯佳さんに私が郵送した「石を送るメールアート」2点をお借りする業務の支援をして来ました。宮沢さんはその2点を桐の箱に入れてこれまでとても大切に保管し続けてこられました。
宮沢さんには2010年5月の鈴木慶則さんの個展で初めてお会いし、石2つをきちんと保管しているというお話を伺い、感謝感激でした。その後、2011年の12月に府中美術館の石子順造的世界展の機会にご持参いただき見せていただきました。そして、2012年の新潟県立近代美術館での「GUNー新潟に前衛があった頃」展にその2つを出品していただくことになったわけです。
今回は宮沢さんが現在療養中ということで奥様が持参してこられました。美術館のカフェで富井さんが受け取り手続きをされ、私はそれをMisa Shin Galleryまで運ぶ役目をサポートしたわけです。
私としては、宮沢さんに改めて感謝とお見舞いの気持ちを伝えることが今回の第一の目的でした。1969年の7月からこのメールアートくを開始して、かなりの数の石を送りましたが2回目と3回目の送り相手様から実物を見せていただくことが出来た唯一のものが宮沢さん宛てに送ったものです。本当に保管状態が素晴らしくNYで展示されるに相応しいものをお借りすることが出来て有り難いと切に思う次第です。


付記
1969年から今年は49年。この私のメールアートは「石、針金、荷札、荷札の細い針金」という材料でつくられています。石は地球の自然の作用で生成し、高熱でも加えない限り変化しません。しかし作品のその他の部分は物質として風化・酸化していく宿命にあります。この作品の場合、石だけは風化することなくこの地上のどこかにあり続けると想定していました。以前にもブログで同じことを書いていますが、これだけの長期間、作品を美しく保管して下さったことについてに宮沢さんに改めて大いなる感謝を申し上げる次第です。
付記2
町田の駅は駅の前後左右がよくわからず、タクシー乗り場を見付けることが出来ませんでした。版画美術館迄は歩いて15分ということだったので歩いて行きました。バス停の版画美術館入口の表示のある場所に着いて安堵。そこから坂道を200mくらい下って行きました。その坂道の中腹左側に見事な実を成らせている庭木があり感動でした。庭木の名前は知らないのですが、実に見事で記憶に残り続けることでしょう。

帰りは富井さんとタクシーを利用しました。