「石を送るメールアート」に続くメールアートの展開として「零円切手」を制作する事になるわけですが、その前段にハガキのあて名スペースに佐藤栄作首相の写真を貼って受け取る際には違反料金を払わせるという作品がありました。(その後郵便規則が変わって写真を貼っても大丈夫となりました。あて名は書いてあればいいことになっています。当然ながら、重さや縦と横のサイズに関する規則は生きています。)赤瀬川原平さんの零円札が先例としてあり、それに大きなヒントを得たわけですが、直接的に模倣したというわけではありません。零円切手の理屈=コンセプトを考えてつくったわけです。それは「全国郵送戦線」というもので、零円切手を貼って投函し相手に不足料金=規則違反料金(不足分の2倍)を支払わせるというものでした。その戦術は相手が受け取り拒否をすれば防げるわけで、全く思慮の浅いものでした。したがって実際にその戦術を使用したのは数例でした。
その後、使用を目的とはせずに零円切手をつくることを続けることにしたわけです。その後個展やグループ展への出品の機会に10点ほどつくりましたが、印刷所の技術の関係でうまくいかなかった例が多く、アートとして今の時点で見せれるものは少ないです。
不足料金を支払わせる作品。1970.11.21の日付
1971 年3月の「言葉とイメージ」展出品作品。佐藤栄作首相を扱った作品。
Sato Eisaku
1972 年美術手帖10月号の「誌面開放計画」への参加作品。
Tanaka Kakuei
2008年につくったポストカード。(再制作)
Tanaka Kakuei
1977年の真木画廊個展で発表。天皇陛下の御訪米と記者会見を扱った作品。この作品だけは今でもアートとして見れると思っています。
Hirohito
参考作品
1976年の個展で週刊朝日で零円切手の掲載中止事件がありました。記者が取材に来て作品を持って行ったか送ったかは不確か。載るのかなと思ったら印刷直前で載りませんでした。ゲラ刷りは記者からいただき、今も持っています。次の77年の個展以降、零円切手から他の表現へ移りました。この年の7月に陰に陽に影響のあった美術評論家の石子順造さんが亡くなられて、キッチュな零円切手作品を見せたい人がいなくなってしまった事に転機を見出したようです。
その後、1982年に石子さんを偲ぶ思いで追悼零円切手をハガキアートで発行し、自分を含め108名に発送したことを最後に切手を発行する事を止めました。そのハガキ作品も画像サイズが小さすぎて失敗作でした。(なお、2003年からPCに習熟。画像加工の技術を高め、9/11の衝撃の後、E-StampSeriesとして様々なテーマでスタンプ類を制作=発表するようになりました。零円切手も当時の100分の1以下の予算でつくれるようになりました。)
先日、当時の資料を整理し、その時の石子作品の版下原稿を見付け、切手一枚ものの方が作品になっている事に気付き、35年ぶりに発表することにしました。この斜めき切手を配置しているところにインパクトを感じたわけです。印刷するというメモ書きもリアリティが感じられ効果的です。1982年2月の作品です。
Ishjko Junzo