Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

Snow Performanceについての覚え書き

2月26日に書き始めたSnow Performanceについての覚え書きがほぼ完成しました。文章はテーマが決まっていても書き方が多様で、無限と言ってもいいです。
2月6日の作品です。

Snow Performanceについての覚え書き

 1970年のGUNグループの「雪のイメージを変えるイベント」への参加と「東京ビエンナーレ」への招待出品以後の10年間は様々な試みを繰り返した。その中で今につながっているのは油性インクを顔や身体に塗って成した自己確認のボディプリント。もう一つはメールアートの展開としての総理大臣やロッキード事件に登場した政商たちの零円スタンプ。
 1976年には初めて東京で個展をした。零円切手や昭和天皇を扱った表現で注目を惹こうとした。零円切手は某週刊誌に掲載されると喜んだが一歩手前で没となった。地元産の石で山を象ったり太陽の光で紙をこがして描いたり。実感は伴っても自他ともに認めるものとはならずの自信を持っての継続はできなかった作品がかなりあった。
 81年の冬は豪雪だった。それまでの3種類くらいのボディアートの延長として雪に身体を投げ出して写真に撮ってみた。実際とは違って凹の部分が飛び出して見える。久しぶりにこれなら行けそう、大発見だと思った。以後飽きがくるまでの8年間。冬になるとSnow Performanceということになった。
 昭和の終わりそうな頃になって学生時代に買った絵具やキャンバスから使ってくれとの声。絵具を使う仕事に入る。自分なりのコンセプトを絵画に見つけ、自信を持って展開していたが、新潟アジア現代美術展へ「Snow Performance」で招待。続いてUKのテートモダンCenturyCity展へ「石を送るメールアート」で招待。2つの表現が再評価された。この二つを受け、熟考し、一旦取りやめた二種類の表現を再開することを決断。
 「Snow Performance」は、96年にNHK全国放送「人間マップ」への出演があった。大地の芸術祭の冬バージョンとして2008年以降、雪アートを展開する機会も得た。そのことから自演自写をコンセプトとしてきたことから他人に一連の行為すべてを見せるようになった。今は雪が目の前にあり、陽光や周囲の条件でムラムラと来たら身を投げ出している。一冬に数回の瞬間芸的アート実践である。これは雪遊びより出て雪遊びよりは高尚であると思っている。(2016.02.26)

ちなみに2/26は私の誕生日です。この日の事は、この日のブログを見て下さい。