Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

Horikawa

70歳誕生日

本日は、私の誕生日。満70歳となりました。記念のSnow Performanceです。大げさですが世界平和を祈念!! 昨日、80年前の2.26事件の特集番組があり、かなり真剣に見ました。2.26が自分の誕生日という事なので、もの心が付いた頃から大事件があったとい…

自作検証

1974年の早い時期に和田英作謹画の「御馬上の聖上陛下」のポスターを生家の物置で発見。とても強い衝撃を受けて全紙大で30枚くらいシルクスクリーン印刷をしました。制作費は5万円。安かったわけではありません。それをGUN 展で14枚を壁に貼ってその前でパフ…

Horikawa Works-7

1981年の冬は大変な豪雪でした。降雪が落ち着いた3月始めにゴビ砂漠から飛んでくる黄砂が降ります。その際に「春の兆し」の実存を強く感じ、雪に手を押し付けて手形を付ける行為をしてみる。そこにひらめくものがあり,初めて雪に身を投げる行為をする。こ…

Horikawa Works-6

1980年には8月25日~31日の会期で真木画廊で個展。新たな表現を求めて思い付いたのが太陽光によるドローイング。テーマはThe Sun Plan。拡大レンズを用いて太陽光を集め3mmくらいの厚紙を焦がして描きました。その制作意図はそれなりに筋の通ったものでした…

Horikawa Works-1

1968.3 新潟大学の卒業式でのスナップ。大学を卒業するにあたり親から初めてオーダーメイドのスーツをつくってもらいました。年齢は22歳、さすがに若いです。 Commemorative photo at the graduation ceremony of the university. このスーツのメーカーは高…

Horikawa Works-5

1979年のサトウ画廊での個展。作風を一変して石彫を発表。 展覧会のテーマはMt.Myoko Plan 当時、現妙高市の新井中学校に勤務。校舎の背景に、窓からは目の前に妙高山が広がる。春夏秋冬の妙高山の移ろいを見て学校生活を送る。この学校に転勤して少しして妙…

Horikawa Works-4

「石を送るメールアート」に続くメールアートの展開として「零円切手」を制作する事になるわけですが、その前段にハガキのあて名スペースに佐藤栄作首相の写真を貼って受け取る際には違反料金を払わせるという作品がありました。(その後郵便規則が変わって…

Horikawa Works-3

堀川紀夫のアート日記に記載した記事を再掲し,補充します。 1974年4月に小規模から大規模校へ転勤。実家に居候し、勤め先では仕事をこなす事で精一杯の生活となった。教員としては当たり前の事をこなして行かなければならない。アートに力を注ぐ余裕等なく…

Horikawa Works-2

Stainless steel works 1968.071968年に十日町市の教員に採用されて下宿した樋口板金店にあったステンレス材でつくったネクタイ型の作品。タイトルは「収束」とした。ステンレスなので48年経ても全く劣化はない。この作品の前にキャンバスでつくった背広「日…

Horrkawa Performance-7

この作品について先日の1.31のブログに少し書いている。ここで時代背景を少し書いておく。1972年の連合赤軍事件で言いようの無い喪失感を感じ、小西反軍闘争の支援グループ同士の内ゲバ事件に失望。続く1973年はオイルショックで世界が流動化。1774年は大規…

Horikawa Performance-8

Self-portrait in profile (Photogram) 1975 This is a work that copy the profile by placing the face between the light and photographic paper.現像機のライトと印画紙の間に自分の顔を置いて横顔を写した自画像です。 GUN仲間の佐藤秀治さんと一緒に…

Horikawa Performance-6

これは1975年の行為。その年の1月に母親が急死した後の空虚感から皮膚や身体の感覚で自己確認しようとしたもの。この作品の前に「御馬上の聖上陛下」の拡大再印刷ポスターの作品があった。今は、この二つの作品の距離について言葉で整理できている。当時は意…

Horikawa Performance-5

GUNを肌に焼く。1972年7月下旬。生徒を引率しての海水浴にて。布の貼り薬でGUNの文字を切って作った日焼けのbody art。ささいな作品であるが思い出の作品です。

Horikawa Performance-4

東京ビエンナーレ以後は8月に京都で「ニルヴァーナ」展、一日だけの大阪万博見学。三島由紀夫の割腹事件。以後に小西反軍闘争への支援活動開始など。万博以後、世の中が冷めて行くような雰囲気。1971年に入って針生一郎氏企画による「言葉とイメージ」展へ…

Horikawa Performance-3

第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」への招待が決まった。カタログに掲載する出品プランや活動歴を国際展事務局へ送り、アポロ計画(13号)のスケジュールに合わせて1970.4.13~25の13日間に一日一個の石を送り終えた。5月1日に、事務局…

Horikawa Performance-1

当時東京造形大学で教えられていた前田常作先生からの紹介で稲憲一郎、竹田潔の両氏と新宿で会って精神生理学研究所の活動に参加する事になった。私は新潟精神生理学研究所を名乗って発信することに。精神生理学研究所は指定された日時での行為あるいは無行…

Horikawa Performance-2

1970年9月23日。職員旅行で立ち寄った群馬、長野にまたがる白根山の山頂にある大きな岩から飛び降りた。同僚のUsuiさんが撮影してくれた。4mくらいの高さから飛び降りた。下手をすれば怪我をしたかもしれない。若かったからできたのである。この時、イヴ・ク…