Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

Horikawa Works-5

1979年のサトウ画廊での個展。作風を一変して石彫を発表。
展覧会のテーマはMt.Myoko Plan
当時、現妙高市の新井中学校に勤務。校舎の背景に、窓からは目の前に妙高山が広がる。春夏秋冬の妙高山の移ろいを見て学校生活を送る。この学校に転勤して少しして妙高山の意味が須弥山である事が分かる。また、生徒から雪形の「はね馬」を教えてもらう。雪が消える4月半ばから5月の半ばくらいまでの一月間、外輪山の山肌に出現する「馬」の形である。妙高山に日々惹かれ、妙高山雄大さ癒されていく自分がいた。妙高山、それは仏教的世界観で世界の中心にそびえ立つ山。校歌では「神さび澄める妙高」と謳っている。このような大きなテーマをである「山」を作品化したいと考えるようになった。
零円切手を評価する機会を与えてくれたのは評論家のHさんだけだった。Hさんは新日本文学誌に週刊朝日に掲載中止になった事の顛末を書く機会を与えてくれた。ことの顛末を書いたらそれ以上継続する気持ちが薄れていた。小さなサイズの零円切手や反体制的な表現では多くの人々の心を動かす事が出来ない。当時、非政治的、時事を超越した美しいものを見せる「もの派」の影響もあった。結婚して子の親になり、また中学校の美術教師であるということから自主規制する気持ちも働いた。
それまでの表現活動で育まれた自分のコンセプトから、メールアートで送った「石」のディテールに潜む山岳のイメージを大きく客体化するという意味があった。いずれにしても大地に足をつけた確かな自分の表現の確立をめざした。

個展のDMのコメントです。
零円切手シリーズを続けてまいりましたが、今回は、その反対の極にある、気負いもてらいもない、つくりたい世界に形を与えてみました。よろしく御高覧下さい。
冬の妙高山。我が家からも同じような姿で見える。

写真の中心部に馬が飛び跳ねる形が見えるこれが「はね馬」4月の中旬の撮影。

個展のDM

会場にて。山を模した形に穴を穿ち、そこに「妙高山」という銘柄の日本酒を注いで展示。妙高酒造は我が自宅から一番近い酒造工場。


最後の2日間は酒を取り出して捨て水を注いで花を生けた。花も宇宙のシンボル。花は妙高山と意味的に同じ仏陀の住む場所。