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F10号2点です。かなり時間がかかりました。
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昨日の雨で白は頭を下げています。
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赤は日差しを得て元気いっぱいです。
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ここ30年以上手帳を使っていたが字が下手で記録として価値がないので処分しています。
2001年のCentury City展に参加したあたりは貴重なものなので記載しておきます。ここから写真などと照らし合わせて付け足していきます。
2001 年
1月27日
9:15 発 10:01はくたか 全日空成田ホテル泊 東京はみぞれが降っていた。
28日 BA008 12:40→13:30発 27日01:35 ヒースロー空港到着
29日 Tate Modernへ Tokyoセクションの展示の進行状況を見る
18:30 ブッフェパーティ 紀幸は植草さんと過ごす
30日 17:00~新潟日報籠島章人さんの取材 18:30~ 全員パーティ
31日 画廊回り 昼食は中国料理(松沢宥 小川文雄 彦坂尚嘉 堀川親子)
夕食後 コンサート ロイヤルフィルハーモニー
2月1日 Century City 点オープン グローブ座 バチカン宮殿観光
2月2日 紀幸とアビーロード観光 大英博物館 ナショナルギャラリー
タイ料理店で 松沢宥さん誕生パーティ
2月3日 小川さんとセントポール大聖堂
BA007 2:30発
2月4日 5:45 直江津着
2月5日 出勤(職場復帰)
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水爆学習
長生きされたのですね。
時事用語事典
エドワード・テラー
「水爆の父」といわれた物理学者、死去
エドワード・テラー。Edward Teller。理論物理学者。
9月9日、トルーマン政権に水爆開発を進言し、ソ連より半年早く水爆実験を成功させ「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー博士が、死去。95歳。
1908年、ハンガリー・ブダペスト生まれ。ドイツで高等教育を受け、30年ライプチヒ大学で物理学の博士号を取得。34年ユダヤ系であるためドイツを離れ、ニールス・ボーアのいるコペンハーゲンで1年を過ごしたのちアメリカに移民。 第二次世界大戦中はロスアラモス研究所の理論物理部門で原子爆弾の開発に従事した。49年のソビエト連邦の原爆実験成功の後、ロスアラモス研究所の副所長となり水爆の開発を陣頭指揮、52年ソ連より半年早く水爆実験を成功。テラー博士は絶えず核計画推進を主張、実験と開発の継続をアメリカ歴代政権に訴えた。被爆50年の95年には、「(原爆を)広島、長崎ではなく東京湾のように被害が少なくてすむ場所に投下しなかったのは大きな誤りだった」とも発言した。
本日はこれにて。