Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

霜月-1107

その1

長崎被曝柿の3世が紅葉しています。(三条市月岡小学校の長崎被曝柿の2世の子供です)

 

その2

今年最後のバラ。寒くなっているのに咲いてくれます。

その3

小菊です。根付いているもので特に手間をかけていません。

その4

パソコンに入っている各種のデーターは増える一方でラベルの付け方により見つけ出すのも一苦労します。

これはもう何度も掲載したことのあるダダカンこと糸井貫ニさんより1970年の1月にいただいた手書き作品。カードに張り込んで作品としています。

ダダカンさんにGUNの手作り作品集を送ったその中の一枚にコメントをいただきました。

 

その5

ダダカンについての思い出。上原木呂さんのブログより。

ダダカン米寿記念にStampを作ることになった経緯です。

 

 

Zero-Yen stamps for DaDa Kan, 88 years old

祝・糸井貫二氏 米寿88歳  鬼放展記念企画
ダダカンゼロ円切手

作 堀川紀夫
モデル 糸井貫二
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堀川紀夫とダダカンゼロ円切手

上越市にある堀川紀夫を訪れたのは2008年4月はじめのことだった。
堀川は云わずと知れた「Shinano River Plan, 1969」に始まる「石を送るメールアート」の作家で、昨今はゼロ円切手を電子メールで発表することをコンセプトとしたE-mail Stamps を発表している。(に熱中している。)
新潟県糸井貫二ことダダカンを知っている人物がいるというだけで稀有なことだが、堀川は糸井とメールアートの交流もあったというのだから驚きであった。

訪問の目的は、9月に私が企画している糸井貫二ことダダカンの米寿を祝う「鬼放展」なる展示会に堀川のオマージュ作品「石を送るメールアート」の正式な出品依頼と、糸井からのメールアートを見せてもらうためであった。
堀川と私は初対面だったが同世代ということもあり、すぐに打ち解けダダカン談義に花が咲いた。

「石のメールアート」と川原石を二つに切りその下に石切代の領収書を添えた「Shinano River Plan-3-」の写真が収められたGUNの手作り作品集が、かって堀川から糸井に1969年に送られた経緯がある。その折り、糸井からの返信メッセージには「世の中にこんな! 雑念のない 鮮烈な美でオレに 迫ろうとは!」との糸井一流の絶賛を与えている。
この「石のメールアート」シリーズは1969年以降、国内の展示会のみならず、2001年にはロンドンのテートモダン「CENTURY CITY,<Art and Culture in Modern Metropolis>」に展示されている。
また2007年にはロス・アンジェルスのポールゲッティ美術館「Art, Anti-Art,
Non-Art : Experimentations in the Public Sphere in Postwar Japan,
 1950-1960」にも精神病理学研究所関連として展示されたが、この時には糸井のコラージュ作品の印刷物も同時展示され、糸井と堀川とは精神生理学研究所の関連で1969年につながっていたことがわかる。さて、堀川宅で炬燵に入り作品写真を見せてもらったり、私の撮った糸井の近況写真をながめているうちに、どちらからともなくダダカンゼロ円切手を「鬼放展」の記念として出そうじゃないか、という話になった。ちょうどその日の午後、私は糸井のパフォーマンスでは最も有名な写真「殺すな!儀」を撮った写真家・故羽永光利氏の御長男太朗氏に会いに行こうとしていた。するとなんと堀川は故羽永氏とも太朗氏とも面識があり、かって羽永宅に泊めてもらったこともあったというではないか。それでは、羽永写真の使用について相談するのも話は早い。ということで夕方には太朗氏からゼロ円切手への羽永写真の使用許可を得ていた。まもなく糸井にもゼロ円切手やE-mail Stampsの資料を送ると、「9.11ニューヨーク貿易センタービルにハイジャック機突入瞬間」の切手にすぐに好感触の反応があり、今回の計画についても賛同を得ることができた。結局、羽永写w)ス燭蓮尸・珍珍冒璃ト碗砥賭」「Dada-Kan 万博破壊」の二枚を提供していただくこととなった。この二枚の写真は1970年9月20日ヨシダヨシエ氏と羽永氏が糸井訪問の折り、路上と自宅で撮ったものである。特に路上撮影された「殺すな」写真は有名なワンショットだが、今回は直接ネガからのプリントをいただけたこともあり仕上がりもすばらしい。「DADAKAN  FOREVER」は堀川ゼロ円切手シリーズのなかでも記念すべきものとなるであろう。また「Dada-Kan 万博破壊」は自宅で万博破壊マスクをした糸井のポートレートである。1970年4月27日、万博太陽の塔下でフリチン疾走ストリーキングした糸井の数少ない万博関連写真としてこれも貴重品である。他の三点は私の拙い写真であるが「Mr.Dada-Kan 88 years old」「ダダカン米寿記念」の二点は本年真冬1月15日撮影の糸井の自宅裸儀の折りのものである。「Dada-Kan 88歳」は4月16日に私と小坂真夕君と糸井訪問の折りのポートレートで、リラックスした瞬間の糸井の日常の笑顔がそこにある。これら五枚の写真がゼロ円切手の名手堀川紀夫ku棊コ蠅砲茲辰董・砲瓩謄皀瀬鵑法・砲瓩徳・・忙覲于修気譴燭海箸蝋・燭・鳥・鯑世討い拭・臑罐瀬澄∋絨羇啼鵝Ε瀬瀬・鵑茵1扮鵑法。ΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑθ・塲・酘釗・・屋宛年9月8日作     堀川紀夫モデル   糸井貫二写真  

    羽永光利 上原誠一郎監修    上原誠一郎企画    Les ales de la terra限定99部 内、1番から20番は特製シートで堀川紀夫サイン入り表紙にも堀川紀夫と糸井貫二のサイン入り-----

 

本日はこれにて。