Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

如月-220

その1

友人の佐藤秀治さんより「THE MOON」のポスターを送っていただきました。その全紙サイズに丁度合う仮縁が手元にあったので入れて、パソコン部屋に掲示させていただきました。

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今回のことで、「静かの海」の他に「コペルニクスクレーター」という名前など、月の地名をいくつか覚えることができました。

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Webより

コペルニクスCopernicus)はクレーター嵐の大洋の東部、9.7° N, 20.0°Wに位置する直径93キロ、深さ3760メートルのクレーターで、顕著な光条を伴い、月面でよく目立つ。コペルニクス代の8億年前に形成されたと推測されている。ポーランド天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)にちなんで名づけられた。

 

 

その2

佐藤さんから、昨年は1969年のアポロ11号の月面探査を特集とする「アサヒグラフ(緊急特別号)、月面に立った人類(アメリカ大使館広報文化局報道出版部)、読売新聞日曜版(8月10日)、毎日新聞日曜版(8月10日)、週刊読売(臨時増刊8月10日)」をいただきました。

佐藤さんは古物商の免許を持っておられ、仕事をされている中で手に入れることができたと伺っております。

貴重な文化資料をいただき、大感謝の大感謝です。

私は、アポロ11号の月面探査に連動して「地球の石」を採取し、それをメールアートに仕立てて自分のアートとし、それをもう50年以上継続してきています。

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佐藤さんからいただいた当時の資料をどう活用すべきか、構想を練っています。私の頭に入っているのはアームストロング船長が月面に一歩を記した日本時間1969年7月21日11時56分20秒という時刻の記憶だけで、その他の経緯は吹っ飛んでいます。当時、世界中がその月面探査の成り行きを注視して興奮状態だったことは確かです。

 

その3

松沢宥研究

1970年10月に松沢さんよりいただきました。有名な御射山社でのパフォーマンスの一コマです。これに立ち会い、撮影したのが羽永光利さんであることは分かっていましたが、このポーズのカットは私のところにしか存在していなかったようです。

2019年のNYでの荒野のラジカリズム展で入り口の大きなパネルなどに使用されました。ありがたいことでした。オリジナルは私のファイルにあります。貴重な一枚です。

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左の文面をお読みください。(シンビズム展より)

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2019.3 NY Japan Sicietyにて。

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その4

2002年2月2日に行われた国立近代美術館での松澤さんの2時22分に始められた松澤宥パフォーマンスDVDのワンシーンです。80年問題のパフォーマンスとのこと。

現在、石巻で展示が行われています。撮影は黒田典子さん。写っている30人ほどの観衆の中に自分が写っていると息子から送られてきました。一つの真実を伝えているカットです。

 

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