その1
本日のCG・automatism2点です。できてしまうとプロセスを忘れてしまいます。
1211
1211−2
その2
大袈裟ですが「ハイブリッド・アートに向けて」と書きました。
昨日から開始したCG・automatismとTensegriryの合体を目指しての試み第2号です。Barの両面にイメージ・色と形をつけたので全方位的に抽象的な世界を味わうことができます。
その3 ある日のメモより。
Kさんの話 (2012年の水と土に向けての説明会だった?)
1977年 ミュンスター、カッセルでアートプロジェクトが始まった。
ナント(フランス)の地域づくり 制作合宿で1週間
20世紀の建築 均質化 ホワイトキューブ
経済原理 グローバルスタンダード
記号に振り回されている時代 生活から離れたアート ⇄ 大地の芸術祭
防災とアート(横浜では)
日本のアートは水と土との関わりの中 ⇄ 認識の形成
土地の中で生きることで ⇄ 人間の始原を辿る
信濃川 それは海とつながる
新潟のアイデンティティとは何か→水と土 →泥田の中で 集落と都市を形成してきた
日本・世界 地域の資源発掘の旅を
写真、祖父母の日記
水と土の中で生きてきた 流れてきた時間 川と生きてきた
家にある記憶を掘り出す 市民による地域資源発見の旅
ランドアート
地域の祭り → それと絡む、それと引っ張るアート 学者と協働で
ポンプでの排水機構 水位の段差を → 表現する
Kがアドバイザー 雪がないので 提案がokしたら 制作開始できる。
現代美術とは違う ニューヨークのアートシーンとは違う
文明の飽和状態 叙事詩
個人の表現として 見えてくるもの
メモがあったので書き起こしました。
大地の芸術祭や水と土の芸術祭などはニューヨークのアートシーンとは違うことはそれなりに理解しています。
ニューヨークのアートシーンはどのようなアートも売買取引・投機の対象になっています。Diaにはホワイトキューブの空間に砂と砂利が積み上げられてその上に鏡があしらってある作品がありました。いくつもの部屋に毛糸のような紐を大きな矩形に張っている作品もありました。このような作品をアートと価値づけて市場に持ち込みそれを購入し、展示する一連のシステムが活動しているわけです。あるいは売買取引の対象にならないものはアートではないということであると受け止めています。
今年は北アルプス国際芸術祭、奥能登国際芸術祭を見に行ってきました。北アルプスは日帰りでガソリン代と高速代、パスポート代、コンビニ弁当で一人約1万円。奥能登は一泊しガソリン代と高速代は2倍以上で一人4万円近くと概算。どれだけの来客で地域全体の経済効果があったかが問題なわけです。ここがニューヨークのアートシーンと違うのだと思います。
水と土の芸術祭はもう行われないとのことですが、これら4つの芸術祭で作品は観客を誘引する仕掛けの役目を果たしています。恒久的な設置として繰り返し展覧する作例もありました。
このようなやり方はミュンスターの例と同じと思われます。ミュンスターでは市内いくつかに市民に選ばれた作品が残され、中心部に美術館があって彫刻プロジェクトの40年の歴史・資料がメインのスペースにコンパクトに展示されていました。(不十分な論究ですが、とりあえず。)