Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

作品集前書き草稿

 

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瀧口修造氏に送った〈石〉。2001年に撮影したもの。(富山県美術館の滝口修造夢の漂流物コレクションの仲間)

 


〈石〉の作品集で前書きと後書きも書くことにしたので苦労しています。自己責任で頑張っています。

数日前からまた集中するようになりパソコンに向かっていますが疲れてしまいます。

 

前書き

「石を送るメールアート(以下〈石〉)」は「新潟現代美術家集団GUN」の旗印のもとでアポロ11号の人類史上初の月面探査、月の石採取に因み1969.7.21に「地球の石」を採取して生成しました。

月面探査計画には「人類の平和と希望」が謳われていました。その後、人類は「平和と希望」を実現してきたでしょうか。そして、21 世紀はNY同時多発テロにより「戦争と失望」で始まって、今は新型コロナのパンデミック禍の中です。

 

〈石〉のコンセプトは、ベトナム戦争の最中に「月の石より地球の石を考えよう」「月のことより地球の現実を考えよう」という素朴な願いでした。それが予想を超えて美術雑誌や新聞など色々なメディアに取り上げられ、翌年の中原佑介コミッショナーによる第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」に招待されるなどの大きな発表の機会に恵まれました。「石」の初打席満塁ホームランのような成果を、生業の中学校の美術教師の傍らで作家として発展させる野心を描きましたが新しい表現生成の展望は順接的には見えてきません。72年のアポロ17号のタイミングで「因み」の関係が切断され、〈石〉を自立的に継続することはできませんでした。自分の成した表現のメタが見えない。その確かな継続への理念と設計図が見えない。浅学と経験不足が根底にありました。

 

しばらくしてメール・アートがらみで「ゼロ円切手」を発想。また自分の身体を直接使うBody Stampで足元を確かめ、80年代に入って雪国ならではの表現「Snow Performance」を発見し、ようやく自己評価力、メタ・アートの力に自信を持つようになりました。

その後、アクリル絵具を用いての表現に活路を見いだすも、96年1月にはNHK人間マップ「先生は雪のアーチスト」に「Snow Performance」の話題で出演。その際に〈石〉も全国放映される機会に恵まれました。その翌年には、彦坂尚嘉によるアクリラート32号でのロングインタビューで〈石〉の再評価を得るなどで歩みを総括し、自信を持つことができました。そして、その記事がNYを拠点に活躍している美術史家の富井玲子の目に止まり、2001年のTate Modernの企画「Century City」展Tokyo セクションに選ばれることになりました。そこで〈石〉に託した想いが全く色褪せてはいないことに改めて思いを馳せその再開を決意しました。

08年に前山忠と「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」を出版。12年には新潟県立近代美術館で「GUN―新潟に前衛があった頃」を開催していただき〈石〉関係を網羅した展示がありました。16年には富井玲子が著作「Radicalism in the Wilderness」で〈石〉を世界に発信。18年のMisaShin Gallery個展では「Not a Stone’s Throw」と〈石〉に新しい意味が付与され、19年には「荒野のラジカリズム」展でNYデビュー。20年にはコロナ禍を受けてWebの Horikawa Michio | 4Columns に登場と〈石〉が脚光を浴びることが続いてきています。一つの表現が「たかが地球の石されど地球の石」で50年以上存命してきていることになりました。

  そんな時代に身近な自然石に託した地球規模の夢の残欠の一つと言える〈石〉の歩みを振り返り、多数の皆さんよりいただいたコメント、批評、撮影していただいた写真を時系列に綴り、3編の富井玲子論文を主役に作品集を編ませていただきました。

 

本日はこれにて。