Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

認識モデル

そのアート作品に内包あるいは外包(このことばがあるかどうか分からないけど)される意味生成の要素は分節・分類することができる。そのアート作品を自分の認識世界に取り入れるその取り入れ方の一つが異化すること、噛み砕く事でありまた丸呑みという方法もある。分節・分類は噛み砕きに関連する。丸呑みは大きすぎると窒息してしまうかもしれないのでPCデーターに例えれば圧縮することが必要である。
グループ「目」の作品は意表を衝く作品である。昨年の大地の芸術祭と今年のさいたまトリエンナーレで見て、両者に共通する要素を感じた。私なりにそれを圧縮して飲み込みたい。

体験型の作品である。
3次元空間に設置されている。
入口と出口が時計回りのようにあり双方向性として設定されてはいない。
入口と出口は「メイがトトロの森に入る」「アリスが穴に落っこちる」などで物語が始まり巻末に至ると同じ文脈である。
数学モデルとしてはメビウスの輪かと思ったがその場合入口が出口にならなければならない。したがってメビウスの輪的な「ひねり」があるということでとらえる。

参考(ウィキペディアより)
数学では、向き付け可能性(orientability)とは、ユークリッド空間内の曲面の性質であり、曲面のすべての点で法線の方向を整合性を持って選択できるか否かという性質である。
曲面の法線の方向の選択は、例えばストークスの定理に必要であるように、右手の法則を使い曲面内のループの「時計回り」方向を決めことができる。より一般に、抽象的な曲面や多様体の向き付け可能性とは、多様体内のすべてのループの「時計回り」方向を整合性を持って選択可能か否かという性質である。同じことであるが、曲面が向き付け可能であるとは、空間内の のような二次元の図形が、空間の中を(連続的に)動き回って、スタート地点へ戻ってきても、決して自分自身の鏡像 にはならない場合を言う。

後半は今の私には理解不可能であるが前半で述べられている「向き付け可能性」に順接した鑑賞者の導線を設定している。

鑑賞者にネタをばらすことを基本的に禁じている。

分節がまだ不十分ですが現時点でグループ「目」の作品を「メビウスの輪」的モデルで捕らえたいと考えた次第です。