Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

Horikawa Performance-3

第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」への招待が決まった。カタログに掲載する出品プランや活動歴を国際展事務局へ送り、アポロ計画(13号)のスケジュールに合わせて1970.4.13~25の13日間に一日一個の石を送り終えた。5月1日に、事務局の峯村敏明さんより電報が届く。翌日、東京から毎日新聞の記者2人取材に行くとのこと。社会部の記者有馬寧雄さんと写真の中尾豊さんが2日に直江津からバスで下綱子まで、そこから中ノ俣まで4kmくらい歩いてこられた。びっくりと感動だったのですが、狭い峡谷みたいな中ノ俣では河原も狭くいい写真が撮れそうにないという話になった。詳しく覚えていないのですが、翌日(祝日)に「石を送るメールアート」を発想し実行した場所である十日町市中条の信濃川まででかけて石を拾うことに。当日(5月3日)は高田から2人の記者と一緒に取材がてらに話し合いながら信越線で長岡から越後川口まで。そこで飯山線に乗り換え、計2時間くらいに中条到着。信濃川の河原に立った。当日は天候にも恵まれ、石を拾って郵便局で送るというパフォーマンスを演じた次第。その際の写真を掲載します。自分では撮れない自分のパフォーマンスの貴重な記録。今に続いている魂への媒体です。新聞は10日の展覧会の開会の後の14日付けで発行されました。
当時私は24歳、46年前の事です。その年は豪雪で、信濃河原にはまだ少し雪が残っていました。

Vサインはその頃からはやり出したように記憶しています。ベトナムに平和をの意味があったと思います。




その年の3月31日まで勤務していた中条中の教え子の生徒らが郵便局まで押し掛けてくれた。変な事をしている私=先生でした。