Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

石を送るメールアート48周年

本日で拙作のThe Shinano River Plan 1969.07.21から48年経過しました。とりあえず、その事だけを記しておきます。
これは前山忠さんに送ったものの写真です。

2009年の堀川紀夫のアート日記に掲載
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090411/1239398356



2009 年までの歩みをまとめたメモです。


石を送るメールアートの歩み

1969.07.21アポロ11号月面着陸の当日
 十日町市中条中近くの信濃川で美術の授業として生徒と共に石を採取しアポロ11号にちなんで11人の作家と美術評論家に送る。
(荷札にはタイトルを記入せず、月に足跡を記した瞬間の11.56.20をスタンプする)
(送付先は 石子順造、郭仁植、関根伸夫、高松次郎東野芳明中原佑介針生一郎前田常作松澤宥、前山忠各氏と本人で11名。手にある写真記録は前山に送ったものの記録だけ)。

The Ara River Plan 11  
帰省中であったため、上越の実家近くの荒川で石を拾う。糸魚川市展に出品。(1969.08.20発送)高田郵便局より郵便料260円前田常作氏が審査員で評価される。(大光賞を受賞)

The Shinano River Plan 11(1969.08.27 評価されそうな予感があり作品発表として発送)山本孝(東京画廊)、白田貞夫、宮澤壯佳(美術手帖編集長)、並河さん(ルナミ画廊)、川島良子、峯村敏明、赤塚行雄三木多聞、宮川 淳、清水楠男

美術手帖11月号李禹煥論文に取り上げられ、批判される。(その後、力量不足により李禹煥氏への反論は出来ないままである。)

稲憲一郎と竹田潔と新宿で会い精神生理学研究所を開始することになる。

The Shinano River Plan No3 (1969.11.04発送 石1個 十日町市展に出品)

アポロ12号に因み、The Shinano River Plan 12(11月20日に発送)石12個を二つに切って一方を送り、もう一方を信濃川に返却。
 李禹煥、山本孝、清水楠男、東野芳明,前田常作、宮澤壯佳, 石子順造中原佑介針生一郎滝口修造横尾忠則瀬木慎一

第1回精神生理学研究所の活動 The Shinano River Plan -Xmas Present-
(1969.12.07発送 石1個 ニクソン大統領に送る。羽永光利氏が写真を撮影。)
1970.01.08 読売新聞に取り上げられる。(羽永光利の売り込み)「大統領に石を送ろう」
「雪のイメージを変えるイベント」に参加(1970.02.11/15)
(横浜こどもの国での現代美術フェスティバルに参加。その会場で中原佑介氏に会い第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」展に招待される。
十日町中条中から高田市中ノ俣中へ転勤となる。
東京ビエンナーレへはアポロ13号にちなみ The Nakanaomata River Plan 13を出品。 (中ノ俣は上越市より10km西側に入った山間僻地。最初は東京会場へは13個(毎日新聞国際展事務局宛)。名古屋、京都、福岡の各事務局に各9個ずつ送る。)
第6回精神生理学研究所の活動のために信濃川(1970.05.03)で石を拾い「佐藤栄作総理」に送る。(毎日新聞社に取材される)毎日新聞(1970.05.14)の記事になる。
本人より依頼を受け村上善男に送る(石1個1970.06.17に送る)精神生理学研究所の作品の送り先ということで交流があった。

ニルヴァーナ展」で京都へ。その8月14日に京都会場で展示した石の針金と荷札を解き三条大橋近くの河原で鴨川へ返却する。毎日新聞社の峯村敏明氏にあらかじめお願いしておき、立ち会ってもらう。友人の竹田潔氏が写真を撮影。その後大阪へ、万博を半日程度見学。

ドイツ(Paul Maenz氏)へ東京ビエンナーレのカタログを送る(1970年9月12日発)。
オーストリア(8月29日発)とドイツ((Paul Maenz氏へ、10月24日発)に石を送る。
(2003年になって富井玲子氏よりのメールでドイツへ送ったカタログがGettyに寄贈されていることが判明。同年7月にこのことに関するやりとりの手紙等の記録をGettyに寄贈)

「言葉とイメージ」展へ招待。The Nakanaomata River Plan (地球の石の札を付ける)
 石1個と零円切手第1号(1971.02)(朝日新聞に取り上げられる)
 同時期に河口龍夫、佐藤秀治(友人)などに送る(日付不明)

The Nakanaomata River Plan -17-(アポロ17号に対応 1972,12,13)
アポロ計画にちなんで石を送る行為の締めくくりとして彦坂尚嘉、関根哲男(友人)、水上旬、前山忠、そして自分宛に送る。(氏名の印はそれまでに直接会ったことのない人物の意味)

その後
1980年に入ってSnow Performanceシリーズを開始

兵庫県立近代美術館「環境としてのイメージ」展へ「石を送るメールアート」が招待される。
The ShinanoRiver Plan‘85 1985,10 黒と灰色系の石2個を送る。 
東京造形大学で成田克彦助教授より学んできたということで仲良くなった上越教育大学の大学院生の駒野直を同道して10年以上ぶりに信濃川で石を拾う。同時に大久保淳二、駒野に送る。)

1993年 一念発起し作品集Snow Performance を出版。
1996年1月 NHK 人間マップ「先生は雪のアーチスト」で全国放映される。石のメールアートも紹介される。

アクリラート・vol.32号(1997年10月)で彦坂尚嘉氏によるロングインタビューに取り上げられる。(石を送るメールアート、新潟現代美術家集団GUNの活動などが再評価される。)

このアクリラート・vol.32号の記事が富井玲子氏に伝わり、富井玲子氏が石を送るメールアートを評価。氏がキューレターを務めるCentury City展(2001.2.1〜4.29)への招待を受ける。
The ShinanoRiver Plan 2000,12,08(Century City展へ)富井玲子と自分へも計3個送る
The ShinanoRiver Plan 2001,01,01(Century City展へ。21世紀への希望を込める)
(出品作2点Tateのアーカイブに収蔵される)

富井玲子(Century City展キューレター)氏が自分に送られた作品をGettyに寄贈。

The ShinanoRiver Plan 2005,09,11(東京府美術館の時代展へ新作の石を一個郵送)
(この作品をそのまま東京都現代美術館へ本人が寄贈)

椹木野衣氏の著作「戦争と万博」(2005年)2月刊行の第6章で「石を送るメールアート」の写真が掲載される。そこで、再評価のことばをいただく。

「ART ANTI-ART NON-ART EXPERIMENTATIONS IN THE PUBLIC      SPHERE IN POSTWAR JAPAN 1950-1970 」(Getty Research Institute 2007年3月〜6月)で富井氏寄贈の石の作品と精神生理学の作品、ドイツに送った東京ビエンナーレのカタログが展示される。

The ShinanoRiver Plan 2008,01,08(「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」展へ)
The ShinanoRiver Plan 2008,01,15(ソフトマシーン美術館の伏見修氏へ)
The ShinanoRiver Plan 2008,08,28
上原誠一郎の企画を受けダダカン展へオマージュとして送る)
On Location展(Sainsbury Centre for Visual Arts)にTate のアーカイブにある2点が展示される。(2008.9.23〜12.14)
2008年秋、下記に取り上げられる。
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2008/oct/29/1000-artworks-to-see-before-you-die-art

Horikawa Michio - The Shinano River Plan 11 (1969)
Horikawa Michio's "mail-art" project was a response to the gathering of lunar samples during the Apollo 11 mission. Michio believed it was more important to gather the stones of the earth, and posted them to 11 luminaries, including Richard Nixon. (JL)

「GUNの軌跡」展 トキ・アートスペースで(2009.4.6〜4.12)で旧作と新作の「石のメールアート」を展示。