Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

Horikawa Performance-1

当時東京造形大学で教えられていた前田常作先生からの紹介で稲憲一郎、竹田潔の両氏と新宿で会って精神生理学研究所の活動に参加する事になった。私は新潟精神生理学研究所を名乗って発信することに。精神生理学研究所は指定された日時での行為あるいは無行為の言の端・記録を集合して発信する見えざる美術館である。その最初の活動日は1969年12月7日。私の行為は信濃川の黒い石を拾ってアポロ計画の元締めである当時のアメリカ合衆国ニクソン大統領に海を越えて郵送する「石を送るメールアート」であった。
折しもその時期、写真家の羽永光利氏はある企業の売り込みキャンペーンの写真撮影の仕事でたまたま私の勤務地である十日町市に滞在していた。私が、前日に会って「明日は郵便局へ行って国際郵便でニクソン大統領へ石の作品を発送する」と話をしたら仕事の合間を差し繰って当日その郵便局で送る手続きをする場面を撮影してくれたのである。
 羽永氏はこのことを直後に読売新聞社の「若者たち」という企画に売り込んでくれた。それが採用になり、年明けての1月8日に全国記事となった。予想もしない全国紙掲載という展開となった。記者は佃有さん。

©Hanaga Mitutoshi

「石を送るメールアート」については下記を参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090411/1239398356