Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

作品集 E-Stamps Series 発行のために

雑誌「先駆」の表紙に「E-Stamps Series」を2年間連載させていただいてから、2年経ちました。このたび、それを作品集として 発行することを決意。100pくらいでも割と安価にできるWeb印刷を知り実行するわけです、しかも11部だけというオンデマンド印刷というわけ。なので、発行というような大掛かりなものでなありません。
一応、作品集なので作者のことばが必要です。このことばを綴る作業がやはり、辛いものでした。文章は難しいです。
前書き、連載の始めに、連載を終えて、終わりにの4種類の文章を昨日で書き終えました。

E-Stamps への歩み
 メールアートの実物を見た最初は、Mに同行して石子順造のアパートを訪れた際、その壁に掛けてあった静岡の幻触グループ丹羽勝次の「<箱>のメールアート」(註1)。また、そこで長野県下諏訪在住の松沢宥という作家が「ことばによる美術」「ハガキ絵画」を発信しているという話を聞いて、同じ地方在住ということに親近感を持った。また、1969年の第9回現代日本美術展の河原温の「Pictorial Diary(15×23)×n個 絵ハガキ」は NYから送られてきた絵ハガキの実物そのものだった。
 話は前後するが、その年の美術手帖4月号で石子による高松次郎個展(註2)の展評があり、街路樹の根元に大小の自然石が無造作に置かれている写真が載っていた。その写真から勤務校の近くに流れる信濃川の河原に広がる無尽蔵の「石」が新鮮に見えて来た。同7月号のアースワーク特集では土、砕石、草、たきぎ、雪などの身近に手に入る自然素材を使用した作例が数多く紹介され、心の深部に落ちていった。
 そして私は、アポロ11号計画の月の石の採取活動に合わせて7月21日に「信濃川の石(地球の石)」を拾い、その石を針金で結わえて荷札を付けて11人に郵送するというメールアート作品をひらめいて実行。その「石を送るメールアート」作品がいきなりの大当たりとなった。
 その後、10種類のハガキによるメールアートを展開。アポロ12号の際は12個の石を採取し、それを半分に切って12人に郵送し、もう一方を信濃川に返した。また12月より精神生理学研究所(註3)の活動へ参加。その第1回12月7日の行為で米国のニクソン大統領に石を送ってしまった。そして年明けた2月には新潟現代美術家集団GUNの再結集による「雪のイメージを変えるイベント」に参加し全国発信。そこまでの半年間は前衛的な活動展開が出来たように思う。そして第10回日本国際美術展 tokyo biennale’70 「人間と物質」展に招待されることになる驚きの展開。
 同年8月には京都でのニルヴァーナ展に参加し、その帰路で大阪万博を一日だけ見学。11月には作家三島由紀夫の自殺で世相が暗鬱に。次なる作品展開に苦慮する中で自衛隊佐渡分屯基地での治安出動訓練への服務拒否に端を発する小西反軍闘争を知り、その支援デモに新潟へ出かけ、またそのデモの写真を撮影。続いて「ことばとイメージ」展(註4)への招待を受けて、新作として赤瀬川原平の零円札などからヒントを得た零円切手を考案。佐藤栄作首相を扱って出品。美術手帖の紙面開放計画(註5)への参加では、就任間もない田中角栄首相を切手化。その後76年にはロッキード疑獄事件をテーマにする等、政治や時事問題を扱うことが切手作品の基本路線となった。
 零円切手では切手サイズの矩形の中で政治を批判、また露骨に風刺。そのことで「週間朝日」と雑誌「太陽」で掲載中止されたことがある。週間朝日でのことの顛末については、針生一郎編集委員長により「新日本文学 77年1月号」の記事になった。合計して15種類くらい制作。いずれにしても零円切手が売れるわけも無く、82年に「石子順造追悼切手」を発行した後、創作への意欲は薄れてしまった。
 雑誌「太陽」の件は83年だった。作家Tと編集部より電話依頼を受けて田中零円切手を送ったが数日後にそのまま送り返されて来た。その顔写真の下に「日本列島改悪論者像」と小さく記してあったのを知らずに依頼して来たのではないかと推測。
 その後、雪にボディスタンプしてできた形象を写真で定着するSnow Performanceシリーズや絵具を用いたレリーフ的絵画の追究に転換。しかし90年代半ばに「石を送るメールアート」や「零円切手」が再評価される機会に恵まれた。(註6)そのことから「石を送るメールアート」が2001年の「センチュリーシティ展」に招待される展開となり、その再開を決断して新作も出品(旧作4点、新作2点を出品)(註7)。
 以上のような作家としての螺旋状な回帰的展開をしている頃、PCでの画像加工技術(Photoshop)に少し習熟。そしてアメリカで9.11の同時多発テロが起こった。その痛ましい衝撃から、WTCビルに2機目が衝突する直前の画像を貼付けて、切手形式の作品を再開。以後、アフガニスタン紛争、イラク戦争の開始からの内外の混乱にシンクロして創作数が増え続け、現時点で各種合わせて500点くらいになっている。
 最初はアナログな零円切手をCGで復刻するような意識が濃厚だったが、電子メール用の切手というコンセプトを考えE-mail stampsと名付け、作品にはE-mailとタイプ。しかし、電子メールで使用する需要は一向に生まれず、スタンプそのものであることからそのもの自体に即しE-Stampと改称。
 最近のテーマは何でもありで使用する画像は主にテレビやWebから取材。その小さな画像に批判、風刺、告発、感動、共感、笑いなどのメッセージを付加し、生きている証しとして創作を続けている。(文中敬称略)                      
                      2015.01.15  

(註1)2014年の静岡県立美術館での「グループ幻触と石子順造1966-1971」展で丹羽勝次の作品に再会し、そのタイトルを知ることができた。
(註2)1969.2.1-2.22(会場は東京画廊)
(註3)1969-1970 稲憲一郎、竹田潔が結成。指定された日時の行為のデーターを集合•離散(郵送)した。集団によるメールアート活動。
(註4)1971年3月 ピナ−ル画廊(針生一郎企画)
(註5)1972年10月号
(註6)アクリラート•VOL•32
(註7)2001年(UK・テート•モダン)東京セクション担当 富井玲子



先駆の表紙を担当して
 
 月刊「先駆」の表紙絵を2011年4月号から担当することになり、9.11の衝撃から展開して来ていたCGによるスタンプ形式の作品「E-Stamps Series」で行く方針を決定。最初の原稿提出日に向け「お詫びする人」などの世相風刺のネタを整理していた矢先に3.11東北関東大震災福島第一原発事故と3.12長野県北部地震が発生。その未曾有の大災害に驚愕、震撼、右往左往する大混乱の中で「震災からの復興及び原発事故の処理」を追い続けるという時事密着のテーマが浮かび上がってきた。
 そのテーマは文字通りに筆舌に尽くせぬ過酷、深刻な現実そのもの。その現実に肉薄し、意味あるメッセージを発信する。そこで、ニュース写真と川柳をコラボさせる<時事スタンプ川柳>を考案。以後、民主党から自民党へ政権が移るまでのまさに混沌とした2年間を担当。
 初めて肌で感じた放射能への恐怖、互助精神の高揚、平和と安寧を切に願って表現してきた。時事の推移に合わせ、希望ある話題、エンタメやスポーツも取り込んできた。
 さて、自民党安倍政権が2年で衆議院選挙を行い圧勝。今後4年以上も続くことに。アベノミクスで吹聴される景気の良さは、まだ国民の大半に届いている実感はない。特定秘密保護法は既に施行され各省庁から最初の秘密指定が発表された。今後の政治が、消費増税原発再稼働、集団的自衛権の行使などへと突き進んでいくことは明白。この時期に、大震災直後からの心と表現を振り返ることは大いに意味あると考え、2年間の24作品をメインに作品集をまとめた。
2015.1.15

連載を終えて

 これらの表紙作品について、読者から「表紙デザインにインパクト」(2011年7月号)との支援的投書があった。また編集委員による2011年掲載論文・記事ベスト3で特別賞に選ばれた。貴重な外部評価と喜んで受けとめた。
 言うまでもなく時事はノンストップ。川柳ひねりは楽しくもあり、原稿提出日という節目のあるひと月が過ぎるのが短く感じられた2年間だった。表紙裏に作者のことばとして寄せた川柳には、今読んでみて何のことか思い出しにくいものが数例あり、本作品集へ載せるにあたり()の中に一言の説明を加えた。
 この取組みのあと「小田原ビエンナーレ2013」に向けて時事への緊張感を持ち続けて制作を継続。出来た作品はブログで発表することを旨とし、また架け時計の文字盤にアレンジして発表することも試みてきている。
 テレビやWebからの画像取材のことは表現のための引用か借用に該当すると考えている。何でもありの表現に展開しているが、その画像と川柳の組み合わせの妙味が発揮されているか。また、それぞれの表現に正当性が問われていると考えている。
 基本的立場としては反戦平和、人道主義、勧善懲悪、震災からの復興支援である。これらの旗を忘れず、政治•社会風刺や悪事告発ばかりではなく生きる喜びや明るい発信性あるテーマをとらえて創作したい。 
2015.1.15



おわりに

 この冊子の編集をし始めたころに、国内では、ろくでなし子が性器表現問題で逮捕され、その勾留理由開示公判が開かれた。また、編集が終わろうとするころにフランスで週間新聞「シャルリー•エブド」などへの連続テロ事件が起こった。テロは絶対に許されない。
 表現の自由において、人種や民族への侮辱や差別、Hate Speech、個人の名誉を傷つける表現は認められていない。この事件からフランスでは政教分離の下で、「宗教への批判は絶対の権利」であると知った。だからイスラム教の根本原理を無視した風刺画を描いて、法的に何ら問題はない。欧州統合の多文化、グローバル化の中で同じ地域に住んでいてもパラダイムの違う両者は「共役不可能」な関係が続く。
 私のこの作品集に綴った「E-Stamps Series」は我が国に表現の自由があってのものであるが、その一部が不当と受け止められることはあり得る。風刺表現を生成させる仕組みは違うが、シャルリーの表現は他人事ではない。
 私はWebで、当該の風刺画を見た。そして矛盾しているようだが、我が国の報道の場で、その風刺画の掲載について対応が分かれたことにイスラム教への配慮を感じた。
 表現の自由というが、表現は自己存在に関わる意思決定で自己責任が伴う。それを他者の鑑賞に供するならそれなりの節度は必要と考える。風刺表現、政治表現、社会表現について、我が国での創作例は少いと感じている。その意味でも、本作品集に綴った作品について批評を乞いたい。
 参考 2015.1.20朝日新聞(耕論 連続テロの底に)

なお、冊子が出来上がるのは月末になります。
出来上がりが楽しみです。
これでこのシステムでの冊子づくりは3冊目です。
今年のテーマは冊子づくりになりそうです。