Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

20230912

 


⭕️

 

美術教師と作家の両道を紡いで-6

堀川紀夫(Horikawa Michio)

 

 

2018年にはMisa Shin Galleryで個展をさせていただいた。富井玲子から「Not a Stone’s Throw」とタイトルを付けていただいた。拙作の「石を送るメール・アート」の物語に新しい章節が付け足されたようだった。

 

作品生成から半世紀を経ようとする2019年3月にNYのJapan Societyの「「Radicalism in the Wilderness Japanese Artists in the Global 1969s」でGUNの「雪のイメージを変えるイベント」と拙作の「石を送るメールアート」と「ゼロ円切手」など数十点の作品が発表される機会を得た。

そのことが沢山の米国の美術ジャーナリズムに取り上げられた。特記すべきはその4月に入ってThe New York TimesのWeekend Artsの一面に「雪のイメージを変えるイベント」の写真が掲載されたことである。

また、翌年2020の6月にはコロナ禍の余波でWebの「Horikawa Michio | 4Columns 」に拙作の「石を送るメール・アート」が取り上げられ脚光を浴びて驚いた。初心の「前衛志向」で生成した表現のコンセプトが半世紀の間生き続け、今日的に情報発信する価値性を持ち得ていたからであると受け止めている。

 

NYで発表することができたのは同展のキュレターを務められた富井玲子と神谷幸江、作品の運搬等を取り扱っていただいたMisa Shin Galleryのお陰である。世界の現代美術の中心地で発表することができた幸運を心の底から喜んでいる。

 

2019.7.21 拙作「石を送るメールアート」が 50周年を迎えた。アメリカへ2個、国内へ3個送り、一つの表現のコンセプトが50年持ち堪えたことを自賛した。

2020.7.21 コロナ禍の中、拙作「石を送るメールアート」が 51周年を迎えた。一番身近な親戚である長女家族に送った。祖父として孫へ伝えたいメッセージを石に込めた。

 

6 終わりに

美術作家としての初心「前衛志向」は言い換えれば東京や欧米から発信されるアートを中心とする見方・考え方を志向することだった。それがトラウマとして長い間住みついていた。そのトラウマに囚われていた期間は自由な視野や発想が狭まっていた。PCが導入され、インターネットを活用し、デジタル情報をやり取りする時代となり、実物作品は見ることができなくても、それに関する情報の大半は不自由なく手に入れることができるようになった。デジタル時代では「PC端末数と同数の前衛が可能」であり、かつての「前衛志向」はアナログの遺物となってその役割を終えた。

そして時代は急速に進み、AIにより人々の行動や欲望が可視化され、国々がサイバー空間やドローン兵器で攻撃し合う不気味な時代が到来している。

 

その中で、美術は喜怒哀楽を実感する意識の世界にある。それはAIのビッグデーターに吸収されアルゴリズム化できるものではない。美術作品は深く広い可能性の空間で知能と感性をつなぐことで変幻自在に立ち現れてくる。

美術作品は叙情や叙事への思いの記号、意味を内包する記号である。それは知能だけでは生成せず、体性感覚、視覚性に大きく依拠している。その生成過程を分節し、造形性(色,形、材料)、主題性、技術・方法の独自性と新しさを主な要素と捉えている。それらを総合して意味を紡ぎ出すために想像力、構築力、オリジナリティが肝要となる。創作の発想、アイディアは領域に囚われず、領域を横断するなどで挑戦的に行動し、その過程で気付き、それを良として受容していくことから生まれてくる。その受容を判断する基準は「自らの琴線に触れる意味の紡ぎ方、組み立て方」と跡付けている。自らの琴線に触れた意味が次に他者の琴線に響くのである。

 

今日と明日は同じ日ではない。対象は見方、捉え方、光の当て方などによって意味が違ってくる。日常を生きる中での小さな意味、小さな差異の発見でも創作の要素となる。正攻法でなくても良い。捩り、駄洒落などの遊び心でも良い。換骨奪胎、肉を切らせて骨を切るなどもある。そこに自分なりに納得できる論理、意味が見出すことができれば創作を進めることが可能である。創作が第一であり、理屈は後から付いてくる。

作家として歩み始めたら自らを世界の中心に立つ創造主として「つくり続けること」また、立ち止まって「つくる意味を問い直す」時間、座禅をするような時間も必要である。社会生活では他者との頼り合いが不可欠だが、作家としては孤独であることを恐れずに我が精神、我が道を歩むことである。

 

私の個展,グループ展、企画展、国際展などでの発表回数はそれほど多くはない。個展はこれまで地元で26回、東京では11回である。その中で会場費を自己負担したのは33回で画廊主催は4回である。

地元や県内には現代アートの市場はなく、創作と個展の開催は表現追究の自己検証に主眼が置かれた。1990年代の後半からアートイベントへ参加するにあたり、制作に補助金をいただく機会も増えてきた。作家として、本当にありがたいことである。

作品は作家の矜恃に直接関わるものである。70歳を過ぎて自分に残された有限な時間を意識するようになり、販売可能な作品の販売を容認するようになった。

「地元からの発信」の一つとして前述の教育実践のブログと同時期にブログ「堀川紀夫のアート日記」に取り組み始め13年目を迎えている。そのブログは自作と自撮りの写真日記を旨とし、日常生活での徒然なる興味関心、観察力、発想力、記述力、美術学習などの鍛錬として続けている。Webで「堀川紀夫またはMichio Horikawa」で検索していただければ見つけることができる。

 

人新世と言われる世界である。1年前より、世界が是としてきたグローバル化の逆理が作用してコロナ禍、パンデミックが続いている。間違いなく人類は危うい時代の渦中にある。コロナは変異種を含めて感染拡大し続け、1月後さえよく見えない。

私はこの一年、コロナ感染のリスクを考えて慎重に行動し、思い描いていた活動ができなかった。旅行や移動はできるだけ控え、巣籠もり的に過ごしてきた。実物作品の発表はTensegrityで地元の二つの美術館の企画展と常設展示だけ。その他、自宅で育てている広島と長崎の被爆柿の木の子孫、宮島達男の「柿の木プロジェクト」と砂入博史の「Tree Project」の世話をすること。

 

 長崎被曝柿の木子孫 2019.11

 長崎被曝柿の木子孫 2023.08

 

 

ブログとfbで静止画のE-Stamps Seriesを数回発表。また、活動の歩みを文書にまとめるなど自分の来し方を見つめ直す時間が多かった。

コロナ禍の非常時の中、途切れることなく現代美術のマラソンレースが続いている。私もそのレースに参加し、マイペースで走り続けている。私はレースの後衛を走っている。レースに参加した最初に一時トップ集団を走ることができたと考えている。これからの自分に新しい発見や発想が生まれ、意味深い作品を生成させ先頭に少し近づきたいという夢を持ち続け、次に自分がつくる作品がどのようなものになるのか楽しみにしている。

作品発表ではコロナ感染予防策が大前提となる。その意味で発表においては、ブログ、fb、などWebメディアを一層積極的に活用していきたい。自分の生命を大切にし、内なる知と外界との関係を納得するまで問い直し、創作に取り組みたい。

 

本文で私の両道の歩みのアウトラインは書けたように思う。本文が本誌編集の意図、今後の実践に資する公的な内容、客観化への道筋に合致しているか、読者の目が注がれるプラットホームで受け入れられるかどうかは心許ない。今後、全ての自作品の写真、解説などの情報を合わせて整理して「堀川サイト」にまとめてWeb公開したいと考えている。

 

最後に、本レポートを書く機会を与えていただいたNorwayのアートコレクティブCarrieに心より感謝します。なお、文中は敬称を略させていただきました。その非礼をお許しください。

(2021.01.28 ほりかわみちお)

 

 

今年付のE-Stampシリーズです。増えた数字はこの間の原爆症死没者の数です。

 

⭕️

今朝も朝顔が沢山咲いています。数時間の癒やされる時間です。(9.11撮影)



本日はこれにて。