Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

20230430

その1

28日にパッションフルーツが咲きました。咲く過程は見れず、咲いた状態を見つけたそうです。昨年より早いので驚いていました。これからも咲くチャンスはあるのでプロセスを見届けたいと思っています。

その2

個展にきていただいた友人の宮森敬子さんからいただいた新宿中村屋のBaumkuchen。美味しくいただきました。

その3

昨日撮影。ギャラリー湯山入り口北側の土手にて。名前は分かりません。

その4

ギャラリー湯山、石川雷太個展『Flashpoints◇世界紛争Tシャツプロジェクト』より。堀川紀夫の誕生日が作品になっていました。2.26事件を思い出させます。

その5

にわか歴史学

web検索のコピペです。

 

昭和11(1936)年2月26日未明、急進的な陸軍青年将校が所属部隊から約1,400人の兵を率いて首相官邸等を襲撃し、内大臣斎藤実・蔵相高橋是清・陸軍教育総監渡辺錠太郎らを殺害、政治・軍事の中枢である永田町・三宅坂一帯を占拠した。

この史料は、同日に宮中で開かれた非公式の軍事参議官会議で、決起将校達に同情的な荒木貞夫・真崎甚三郎などにより鎮撫・原隊復帰を目的として作成され、決起将校達に伝達されたものであるが、途中で字句が変わるなど、混乱を招いた。事態は決起将校達に一時的に有利に動くように見えたが、天皇が断固たる討伐の意思を示して事態は一転鎮圧へと向かい、29日に終息した。

事件に対する処分は厳しく、反乱将校及び彼らに思想的影響を与えた北一輝西田税は死刑となり、その後の粛軍人事で皇道派などの将官多数が予備役に編入され、統制派が実権を握った。また、クーデターの恐怖が政界に影を落とし、軍部の発言力がさらに増すこととなった。

 

その6

昨日の石川雷太パフォーマンスで唱えられ撒かれた松沢宥のことば。

 

僕の考え方は、アートとしてでも宗教としてでも、百年後か千年後に何か理解してもらえればいいんです。

人類が一万年後に滅びてもなお理解されなかったら、光栄ですね。

                                     松澤宥

 

本日はこれにて。