その1
ウクライナでの戦争が止まるまで掲載を続けます。
webより
ロシア大手紙の著名記者が「侵攻反対」の署名活動 記者約300人が賛同
その2
今日の朝のNHKラジオ「今日は何の日」を聞いて、1973年3月29日に米軍がベトナムから完全に撤退し、ニクソン大統領が戦争終了を宣言した日であることを知りました。
ベトナム戦争が終了したのは1975年と頭に入っていたので調べてみると、その後も戦いが続き、ホー・チ・ミン作戦によりサイゴンが陥落したのが1975年4月30日ということでした。
この時期、ベトナム戦争反対をファッションのように心に描いて生きていました。当時のベトナム戦争がソ連と米国の代理戦争であったことを思い出すわけですが、核兵器を持ち出して脅すようなことは聞きませんでした。この戦争で米軍が枯葉剤を撒いたことで奇形児が生まれるなどの非人道的大被害が出ました。米軍がベトナム戦争で行った虐殺行為は今のウクライナでのロシア兵の無差別爆撃に通じるものです。戦争は人間を極悪非道の悪魔に変えてしまいます。
さて、昨日?バイデン大統領は、この戦争で「世界は変わってしまった」という発言をしました。これからの世界はどう動いていくのでしょうか。アートが前提としていた平和的世界が失われて、アートはどうすべきなのでしょうか。アートの存在意味が根本から問われています。とりあえず、地下壕に篭ることしかできないかもしれません。いずれにしても戦争をやめさせ平和を構築していく考えをしっかり持たないと大空を自由に飛んだり大地を自由に走り回ることはできないようです。
その3
少し前のNHK番組で希望を感じさせる言葉があり調べてみました。
吉田泰郎さんのブログより要旨を引用
ドイツの宗教家、マルティンルターの名言
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。」と、一般には翻訳されています。
原文
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
の翻訳の仕方には、2とおりあり得る。
一つは
たとえ世界が明日滅びるとしても、私は、リンゴの木を植え続ける。
という、過去から続く慣習的な行為の大事さを強調する翻訳。
もう一つは
たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える。
という、「今日」の行動を着目することで、リンゴの木を植えるという生産的な行動をすること自体の貴さを強調する翻訳。
どちらも良い訳だと思います。元のルターの本心としては、宗教的な意味も込めて前者の翻訳が近いのかもしれませんが、現代に生きる私たちとしては、「今日」の心に直接関係してくる、後者の翻訳の方が、心に響くように思います。
その4
今日は少し暖かいです。前庭の姫水仙?の花が開きそうです。気持ちが癒されます。
本日はこれにて。