Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

石を送るメールアート作品集出版に向けて

今日は前書きの構想を練っていた。猛暑の中パソコンとにらめっこしていた。

 

一次案

 

本のタイトルを素直に書くと「石を送るメールアート物語」である。

 美術作家活動の自分史を思い、50年以上の歩みを続けてきていることは不思議な出来事のようでもある。だいたい体力に自信のないので70歳代まで生きることすら予想できなかった。18歳の時に父親を亡くし、その11年後に母も亡くし、近くの土間に石畳の焼き場で藁と薪で火葬された様子を見たこともあり、人間の死については達観する考えを形成していた。

無理はしないように心がけてはきていたが、意地を張って仕事を頑張りすぎたことがあり、40歳の時に胆石を患って胆嚢切除した。石の祟りかと内心笑った。

 

「石を送るメールアート」作品は1969.7.21に生成され、生成以来、新聞、美術雑誌など色々なメディアに取り上げられ、翌年の東京ビエンナーレに招待されるなどの大きな発表の機会に恵まれた。しかし、1972年のアポロ17号のタイミングで一旦終わらざるを得なかった。中学校の美術教師の傍らでそれなりの野心を描いて「石を送るメールアート」を継続、発展させる表現生成の展望はなかなか見えてこなかった。浅学非才ゆえのことである。自分で悩み失敗しつつも進む、そんな歩みの中で雪国人ならではの表現「Snow Performance」を見い出すなどでメタ・アートの力をつけ、自分の表現の幅を広げ自力評価力を高めることができた。合わせて、彦坂尚嘉によるアクリラート32号でのロングインタビューの機会を得て「石を送るメールアート」が再評価された。そのことから2001年に美術史家の富井玲子博士のTate Modernの企画「Century City」展Tokyo セクションに選ばれてから、昨年の「荒野のラジカリズム」展、今年、2020年にはWebの Horikawa Michio | 4Columns というように。漂えど沈まずで50年以上継続していることになる。

また、2000年からの北川フラムでレクターによる越後妻有大地の芸術祭に参加することなどにより作家としての幸せのような世界が徐々に広がってもきている。

この50年以上の「石を送るメールアート」の歩みを美術史家の富井玲子博士の論文を中心に一冊の作品集を初めて編むことにした。                                                                                              (2021.x.y)