近くの陶芸家の金子さんにテラコッタ粘土で作った「Dもどきのオブジェ」を焼いていただくことになり、工房を訪ねたら入り口に大量の梅が干してありました。工房にある2本の梅の木から採れた梅で作ったのだそうです。金子さんは若い頃に料理人もされておられたとのこと。
梅漬けの工房かと見間違うほどの量で、とにかくびっくりしました。量的に何人の消費量に当たるのかと思いました。強烈な陽光の力で食欲を刺激する絶妙な味に干し上がるのでしょう。
家に閉じこもっているので、Webマガジン系はよく見ています。本日のBTに有名アーティストのキャラクターマスクが宣伝されていました。
このようにマスク自体にイメージを付け足すことは先進的なものではなく、すでにおびただしい実践例を見てきました。今頃になって、有名アーティストが出てくるのは遅すぎる感じです。もっと早い時期に出して、コロナとの戦いに資するようにできればよかったのにと思う次第です。コロナに対してなすすべのない私たちアーティストのアイディアの貧困さが表れている現象のようにも思います。
6月1日付でワイフに作ってもらったEchigo-Tsumariのロゴを生かした試作品です。当時のブログに掲載したものです。参考までに。
話題は変わって、少し前に直江津のイトーヨーカドーの建物をリノベーションして無印良品ができました。規模においては全国的だそうです。
ワイフにせがまれて物見遊山に行ってきました。贅沢な空間で木材の生地や集成材を生かした温かみのある空間で気が向いたら腰を下ろすことのできる椅子やテーブルが売り場を貫く通りや本のコーナーにたくさん設置されて、開放的で過ごしやすい公園のようでした。
本のコーナーで福岡伸一さんの「動的平衡」が置いてあったので手にしたら、相当前に発売されていたものでした。今これを買うことは、自分の学習の遅れを改めて確認するようなことになる。というような思いがよぎり、棚に戻しその隣にあった「数学の贈り物」森田真生著を手にしました。
ペラペラとめくってみると、短編が繋がれている形で読めそうな予感がし、ひここまれるものを感じ買うことを決めました。
例えば「白紙」という随筆の最後
あらためて、何かを生み出すことの難しさを思う。白紙からはじめて、1日の自分に成し遂げられることの小ささを思う。しかし、それでも、明日も、明後日も、また白紙から始めてみようと思う。
この心境は、私の絵画の生成にかかる態度と同じと思われます。あるいは、このような考えで1日で絵を描いて筆を置いてみようと思っているのかもしれない。とにかく、白紙から始めることは、日々新たな挑戦になるように思われます。
もう一つ、この「白紙」からイメージしたことがある。良寛さんの詩である。(書き下しの分は松岡正剛の「外は良寛」より)
白扇讃
団扇不畫意高哉 団扇画かざる意高きかな
纔着丹青落二来 わずかに丹青を着くれば 二に落ち来たる
無一物時全體現 無一物の時 全体現れる
有華有月有楼台 華あり月あり 楼台あり
何れにしても、この「白紙」を読んで清新な気持ちに立ち返ることができたように思う。