Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

2019年を迎えて−4

全く身に付いていないことですが、本を読むように心がけています。沢山の本が本棚にあります。最近はできるだけ書籍を増やさないようにしています。本棚のものは自分で購入したものです。が、しっかりと読みこなしたものはほとんどありません。作品や写真等が掲載されたことでいたいただいたアート関係の書籍はその部分を除いてしっかりと読まずにきていることも多いです。
自分の使命は、作品づくりであると思って来たことと、本から得られる教養から身に付くものを身につけることが出来ない。そういう能力が無いということだと、今は諦めています。

今は、インターネットと電子辞書の活用で本のページをめくることなく調べる、読む、見る、鑑賞するなどができます。上京しなくても話題になっている作品、作家、展覧会などについて情報を得ることだができありがたいです。

何時買ったかどうか覚えていないのですが、文庫本の小林秀雄モーツアルト・無常という事」を買ってありました。古本屋で一冊100円くらいだったと思います。随分長い間本棚にいれたままでした。短編ものもあるので一年前くらいから時々読んできています。長いものは10pも読むと疲れて、投げ出しすことが多いです。
その徒然草に「惑いの上に酔い、酔いの中に夢をなす」という引用があり、気になっていました。自分のこれ迄のアートの人生を集約することばのようでメモしておきました。それが何処からの引用かと思いWeb検索すると、徒然草の第75段 つれづけわぶる人は、いかなる心ならん。の一節でした。
これまで家庭づくり、生業、人付き合いの複雑な絡みの「惑い」が多かったと思います。この「惑い」を全て断ち切る事はできません。自分自身が「惑い」でもあるわけです。それをせめて精選したいと考えるわけです。
さて、いま、右に新しいパソコンで徒然草を読み出し、左のパソコンでブログを書いています。電脳に向かいて有り難し、電脳は有り難きかな。

平成回顧−3
1993年の作品です。サイズは60×60cmで厚みが10cm程度です。
右側に実体ある円筒を付けその色とバックのキャンバス平面との対照。中心のだまし絵の立体感。これらの視覚的共振がコンセプトでしたが、だまし絵としては余りにも素朴なものでした。このような視覚効果を30点程の追究しましたが、拍手喝采をいただくことはできませんでした。古今東西に沢山先例がありました。それから物量が大変であるという事で凸部を無くす方向へ舵を切っていきました。