Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

日常の非日常(孫の描画より)

法事で帰省中の孫が昨日残した話題です。親との人間関係の中で感情の推移が率直に表出された描画行為があり、美術教師としての心が動いてブログに留めます。
小学校1年の孫2号がシャープペンシルで描きたい人物像=自画像か?を両親が近くで見ている位置関係で描いたそうです。
その後そのテーブルでサイダーを飲むことになったわけですが、注いでもらったコップを取ろうとして描いた絵の上にこぼしてしまいました。それを見て親たちがその絵を失敗作?として丸めてゴミ箱に棄ててしまったのだそうです。
そういう背景で孫2号が泣いていました。私が見たのは泣いているところからでした。もう一度描けばいいでしょう、と再起を促すと今度は2階に上がって描いてきました。
持って来たのが以下の3枚のドローイングでした。用紙のうらには「ままみてごらん。へんだから」と書いてありました。
私の印象では、最初の一枚は「親に認めてもらえなかった悲しみ、怒り」が率直に現れているようです。顔が泣いているように見えます。
私はこのドローイングを見て、指導意欲が湧き「気持ちが良く描けているよ!」と作品を認めるアプローチを送りました。

この絵は少し立ち直ってきています。

この絵は相当、気を取り直して来ているようです。全体にバランスがとれて来ています。

この問題をそのままにしていてはよろしくない、ということで一応の達成感を感じさせて問題を解決する事が肝要と思いました。
「紙はいくらでもある、思い切って大きな紙に元気よく描いてみたら」と勧めると、やる気のある様子でした。
4つ切りの画用紙に太めの黒いフェルトペンを用意して改めて活動を促すと、「見ないで!」というので座を外しました。描画プロセスは見てはいませんが、結果の作品です。線に無駄がなく端的に描きたい人物を描いています。本人の現在を素直に表す作品ができたと爺も親も喜びました。孫をほめました。孫はこの絵を丸めて持って帰りました。一件落着でした。

さて、今日の朝、ゴミ出しの日なのでゴミをまとめていたら昨日親に丸められた最初の絵が出て来ました。もちろんこぼされたサイダーは乾いていました。しわを伸ばしてみると最初描いた絵のエッセンスは十分に残っていました。紙のしわの表情が親子の小さなすれ違いのドラマを暗示していました。


色々な活動の場面で子供はそれなりの良さを発揮します。その良さを周りの大人は認め励まして行くことです。