1969年11月20日に郵送したメールアート「The Shinano River Plan-12」関係の展示のあゆみ。
1999 年の年末にTomii Reikoさんが調査に来られる。
2001年Tate ModernのCentury Cityでの展示。キューレターはTomii Reikoさん。石の実物は6個展示でそのうちの1個は12号関連で、新しく2個送りました。
「幻触」と石子順造 1966ー1971 2014.2.1~3.23 静岡県立美術館にて キューレターは川谷承子さん。石の実物展示はありませんでした。
2019年3.8〜6.9 荒野のラジカリズム展 NY Japan SocietyにてキューレターはTomii ReikoとKamiya Yukieさん。石の実物は6個。その内に12号関連は一個。新しく一個送りました。
掲載したこれらの写真を貼ったものと手書きのデーターカードは都合3回美術館での展覧会で展示されたことになります。
この12号関連では石を2つに切断して半分を12人に送り、一番大きなものの半分だけを残しその他11個の半分を採取元の信濃川に返すという手の込んだことを行いました。考えてみればわざわざ切断した半分を信濃川のリサーチ不能な位置に投げ返すためにお金を使ったというわけです。今、50年前のことを振り返って、メールアートという孤独で突飛なアート行為の過程で自分だけが知りうる送り側の物語を作ろうとしたものと思っています。