Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

私の回答(コロナアンケート)

5月3日に回答したM画廊のコロナ禍アンケートへの回答です。あれから2ヶ月以上経ちました。回答を寄せたサイトでの掲載が継続していますが、世界情勢が変わり書き換えるべきところも出てきました。回答の全文をブログに載せて、自らによる書き換えの一段階とします。

 

 

回答前文。

コロナ禍のただ中におけるこの度のアンケートに答えようと努めて自身の浅学非才ぶりを再確認できてスッキリした。総論と各論、建前と本音の齟齬はつきまとう。どの項目でも屋上屋を重ね、堂々巡りしているようでもある。誰に向かってこのアンケートに答えたのか。アンケートが逃げられない課題に思えたからである。答えには情勢次第で変わってくるものと変わらないものがある。これは情勢に応じて書き換えていかねばならないものである。今日以後の日々をコロナを防衛し、自愛と他愛の美しいバランスを奏でて過ごしたい。

 

 

回答


1 新型コロナウィルスにより、かつてない価値観の大転換が起こることが予想されます。それはどのような転換になると思いますか。

 

新型コロナウィルスの感染拡大を緊急事態宣言に基づく在宅中心の自粛行動と現代の医療で押さえこめるのか。このコロナ禍の行く末、その終息、ゴールがまだ見えていない。このコロナ禍に以後はあるのか。「コロナ以後」は何時くるのか。

コロナウィルスはどこに潜んでいるのか。人の移動で運ばれるというこのウイルス。2週間程度の移動制限、隔離は有効な方策なのか。病院での感染がなぜ防げないのか。ワクチンが開発されるまで何年かかるのか。より強毒に変異して第2波、第3波と数年間かけて繰り返して登場するのではないか。大事なのはコロナと上手く付き合っていくことか。

 

言えるのは「コロナ中」においては同じ船にしか乗れない。「カルネアデスの舟板」は通用しない。今、私たちには協力・連帯・団結が求められている。

できることは定着しつつあるマナーとしての「マスク着用」「手洗い」「他人との適度な距離」「除菌的行動」「外出自粛」などをその協力・連帯の証とポジティブに捉え実行することである。

そのような行動を日常とすることで「コロナ以後」は徐々にやってくるであろう。それは「コロナ前」の日常、習慣、マナー、価値観とは異質なものとなるしかない。

 

最近、「人類は科学を信頼し非理性的な行動を取らなければコロナ禍に必ず勝つ」「他を守る利他主義が合理性のある利己主義である」という学者のインタビューを視聴した。

そのような知見をベースに新型ウイルスワクチンの開発、人類に備わっている自然な治癒力として有効なウイルス抗体の形成がもたらされる夢を見たい。

見えない新型コロナウイルスとの戦いは、人間一人一人の煩悩の三毒・痴 とん・じん・ち)からの解放、社会の民主的なあり方を追究し続ける長期戦でもあることは間違いない。

 

2 その大転換期に、私たちアートに関わる者はなにをすべきだと考えますか。あるいはどうあるべきだと思いますか。

 

「コロナ中」にあってアートに関わる者が何をどうすべきかはそれぞれに立場が別れるところとなる。私はアート至上主義であってはならないと考える。

この「コロナ中」の時を生きた一人の人間として、その生命の刻印としての表象を残し続けることが肝要である。

免疫力を損なわないように生活を律し健康維持に努め、魂を自由にして民主的に考えること。その時ならでは生まれ得ないユニークな美、新鮮な美を表現することである。

アート創作のコンセプトは、その造形性(色、形、材料)などの諸要素で生成される意味世界にある。このことは、複合的ジャンル、非造形の観念的アート、あらゆる表現でも変わることはない。

アート創作は一人でもできる。創作は自分一人を観客とする意味生成過程である。そして自分以外に観客がいなくとも展覧会は成立すると考えられる。アーティストは活動を持続することである

 

作品を展示して多数の観客が三密してそれを享受する「展覧会のあり方」は問われている。「コロナ中」は美術館や画廊、劇場、ライブハウスなどの箱物空間に密集する入場者は迎えられない。特に鑑賞のあり方を改変しなければ大型展などは成立しない。人的安全、物的安全、鑑賞の方法など、ウイルスからの防御の必要から注意事項が多くなってくる。

何れにしても、箱物空間での展覧会ではこれまでの動員数をあてにする集客主義、経済主義が成り立たない。展覧会というイベントの経営が根本から揺らいで、すでに多数の展覧会は中止されている。

「コロナ中」で画廊展の場合、オープニング鑑賞をオンライン環境の中で行うようにする。第二段階のオリジナルの実物を直接鑑賞する場合は予約システムを用いた人数制限をすることが加速されように思われる。

観客の密集を回避できる広大な野外の展示の例は大地の芸術祭を筆頭に先行例がある。この例でも話題の作品では密集が起っていた。野外での鑑賞にも「マスク着用」が必要になってくる。

 


3  多くの美術館やギャラリーがクローズし、オンラインのビューイングに切り替えています。実際に見たり体験することが出来ないというかつてない状況の中で、アートの表現においてインターネットや新しいテクノロジーはどのような変化、または進化をもたらすと考えますか。

 

 

インターネット環境において沢山のアーティストが個人サイトやブログを公開している。FacebookInstagramtwitterでオリジナル作品を発表している例は多々ある。Web発注による印刷システムで小作品集の発行も容易にできるようになった。

テレワークと同じようにテレギャラリーとして運営することは可能性を広げる。キューレターはコーディネーターとしての役割を前面に出して作家と観客を結ぶ役割を担う。

Zoomなどテレワーク、オンライン会議や授業ができる双方向型のツールがある。作家のアトリエと観客がWebを通してコミュニケーションする方式も可能である。

自分にとって使い勝手の良いテクノロジーを使っていけば良い。PC、スマホなど使えるテクノロジーを必要に応じて使用して発表していく。

今後、テクノロジーは更にハイブリッド的に開発され続け使いやすくなっていくと楽天的に考えている。

 

GAFAでも個人情報の流出事件があった。運営サイトの巨大メモリーに使用者のデータは順次記録蓄積される。使用者のデータはBigDataの一部となる。その活用は分析次第ということである。

Web上では権力に批判的な表現も検索により簡単に把握されてしまう。そのようにWeb上の表現は監視されているに違いない。だがそれを恐れていては表現の自粛が進むほかない。Web上での犯罪も多い。アドレスに入り込んで受信者を発信者にして恐喝的メールが送られてくることがある。Web上でのプライバシーや著作権は守らなければならない。不正アクセスは防がなければならない。サイトに出入りするための認証システムがより適切に進化することを願う。

 

一旦、美術館やギャラリーから離れて考えてみることで可能性が広がってくる。美術館やギャラリーだけがアートの場所ではない。至る所にアートの場所はある。

郵便制度をつかったメール・アートは、見せたい相手に直接的に作品を送りとどけることができる。宅配便のアートもある。

アトリエや自宅に小さな展示ギャラリーをつくっての小規模な発表。身近な空き地や路地、屋根や屋上でも展示できる。そこから螺旋を描いてインターネット環境にリターンしていけば良い。

 

4 このパンデミックは人間が自然に対して行ってきた報いであるとも言われています。であれば、人間コミュニティの一員としてアーティストはどうあるべきであると考えますか。

 

現在、この一つの地球を浪費している人類。核保有国が我が物顔している新人世紀である。今、世界の国々は米国を筆頭に自国主義傾向の鎖国を強め、短期的な経済主義で地球の資源を奪い合っている。

地球温暖化が進んでいることで異常的気象が頻発している。氷河は消滅を加速している。時々規模の大きな太陽フレアも起こる。人類は未来を楽観することはできない。自然保護と資源活用のバランスはすでに破綻している。原子力発電で排出される放射性物質は処理不能で環境に大きな負荷をかけ続けている。人類にはソーラー発電などの自然エネルギーの活用に希望が残されているだけである。

 

コロナ禍により世界的には数十万の死者、その人的資源の大喪失。どの国にも計算不可能な大打撃、巨額な経済損失が残るはず。発展途上、後進国と呼ばれる国はどうなるのか。

政治権力が健康管理の方法としてコロナの感染データを集め、配布金や休業補償金の支給でマイナンバー制度の日常化を強く進め、それを市民の行動監視や憲法改正へと世論誘導に利用するようなことにならぬよう注意が必要である。

 

三密の克服、脱三密をコンセプトとする新たな発想がすべての分野に求められている。

各論になるとごく小さな風呂敷になるが、アーティストとして針の穴ほどの試みがある。最近は資源の有効活用を目指すエコ的な考え方を重視し主に木材を使って「組み立て解体方式」の作品を追求してきている。インターネット環境と無関係では今後の生活は成り立たない。その使いこなし、デジタル表現の可能性の追求も重視したい。

 

5 他になにかメッセージがあればお願いします。

 

毎日が緊急事態宣言の「コロナ中」である。政府が配布を表明したマスクはまだ届いていない。そんな「コロナ中」の日々にフル稼働で働いている医師、病院組織、医療従事者、食を支える農業、漁業、食品製造業、コンビニやスーパーの従業員、調理師、理容業、運送、郵便従事者、電気ガス水道などのおかげで短期的な生活を営むことに不自由はしてない。これらのインフラを支えてくれている業種の従事者に大感謝を捧げ、その社会的な重要性を再認識し心より大きな拍手を送りたい。

 

コロナ禍で倒産や解雇が多発し深刻な経済状況が長引くと生きる力を失い自殺数が増えると予想される。生命は失われたら戻らない。

コロナ情勢は大混乱、大災害に向かうか、安心安寧に向かうか、予断を許さない。変化する日々のコロナ情報を共有して連帯行動を続け、コロナ終息への展望を描き一応の結びとしたい。(5月3日)