その1
今日も咲きました。
その2
誰か欲しい人いませんか。堀川紀夫は総合造形編に実践例を寄稿しています。その縁で大金を払って購入しましたがその後全巻を飾っていたにすぎません。教員養成系の機関に譲りたいと考えています。
その3
昨日のブログは日頃に比べてアクセスが多くあり不思議でした。釣果がキーワードでしょうか。
午前中に先日のイソメの残り半分でいつものポイントへ。釣果4匹。少し大きめの2匹の引きは久しぶりの快感でした。お昼には帰宅。往復で35kmくらいの趣味の世界です。
釣り人は少なめでした。綿毛の草が風を知らせて海岸の風情が初夏の感じです。
その4
時下、ますますご清祥のことと拝察いたします。
昨年度末、東京国立近代美術館に拙作「石を送るメール・アート1969/2013」が収蔵(寄贈)され、現在「MOMAコレクション展(第8室)」に展示されております。
美術作家としての夢の一つが実現したと考え、皆様にご案内させていただいた次第です。
お忙しい中ですがご高覧いただければ幸いです。
会期は9月10日まで。
(月曜と7.18休館、7.17開館)
午前10時〜午後5時
入館券(コレクション展のみ)500円
なお1F企画展ギャラリーではガウディとサグラダ・ファミリア展 が開催されています。
6.13–9.10 一般当日券 2200円
(企画展の券でコレクション展も見ることができます)
6月吉日 堀川紀夫
ファウンド・フォトと呼ばれる写真の多くは、そもそも撮影者が誰であるのか知られていないものが多い。それにもかかわらず、そうした写真に「作者」の存在が見出されようとするとき、その役割を叙述する過程において「ファウンド」という言葉が呼び起こされる。こうした写真の多くは、フリーマーケットや蚤の市などで見つけられたものが大勢を占めるが、それゆえに写真の発見者と撮影者とのあいだで写真の「読み方」をめぐった相違が生まれることがある。その読解の差に「発見」という言葉が挟み込まれ、「ファウンド・フォト」が誕生することになるのだ。このとき、写真の発見者と撮影者の関係は非対称的であり、具体的には、しばしばプロとアマの関係にそれが置き換えられることがある。
「ファウンド・フォト」として流通している写真の多くはいわゆる(「芸術家」に対する)「素人」が撮った写真であるからだ。したがって、そこには収奪の論理が働くことになる。しかし、そのことが批判的に言及されることは少ない。なぜなら、芸術家によって積極的にこの手法が選び取られる際、しばしばそこには救済的な態度が付随することになるからだ。このとき「救済」されるのは、歴史的・情報的に「弱い存在」が対象となることが多く、たとえば「ファウンド・フォト」よって忘却された歴史やそれまで可視化されなかった営みが改めて浮かび上がるという試みがこれまで多く行われてきた。しかし、先述したようにそこでは領土拡張的な収奪の論理が働きがちであるということにも注意する必要がある。
「ファウンド・フォト」として流通している写真の多くはいわゆる(「芸術家」に対する)「素人」が撮った写真であるからだ。したがって、そこには収奪の論理が働くことになる。しかし、そのことが批判的に言及されることは少ない。なぜなら、芸術家によって積極的にこの手法が選び取られる際、しばしばそこには救済的な態度が付随することになるからだ。このとき「救済」されるのは、歴史的・情報的に「弱い存在」が対象となることが多く、たとえば「ファウンド・フォト」よって忘却された歴史やそれまで可視化されなかった営みが改めて浮かび上がるという試みがこれまで多く行われてきた。しかし、先述したようにそこでは領土拡張的な収奪の論理が働きがちであるということにも注意する必要がある。
その5
南蛮貿易図屏風に描かれた虎。3月のタイラー・コバーンの作品からの研修刺激の一コマ。
本日はこれにて。