Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

魂の相続に向けて

昨日の朝日新聞に、姜尚中さんのインタビュー記事があった。
見出しは「次世代へ魂を相続させること」。最近の「自分史」の静かなブームについて、「戦後の時代」がフェイドアウトしている中で、「戦後」そのものを生きて来た者として、何か書き残す、発信しておきたいという気持ちがある。そのことを「魂の相続」ということばで結んであった。
私は1946年生まれだから、姜さんよりは4歳年上で少し時代感覚はずれているかもしれないが、同感する記事で数年前から私が取組んできていることと全く符号していた。
 改めて、我が身に還ってみると、住居、財産、アートなど物的なものの「相続」のことは、まだ思考の緒についたばかり。先日、某保険会社の終活セミナーに参加して来たものの、住居や財産のことをあらかじめ計算するように考えておくのも気乗りすることではない。墓はつくらないことは決めている。それから本棚に並べられているままの書籍と資料は私がこの世からいなくなればゴミ同然のものが多く、整理は早めにと心がけて実行してきてはいる。
ちなみに、昨日、各勤務校の思い出の一つである手作り系の文集類を10cmくらいの厚さ分をシュレッダーで処分した。50年近く持ち続けて来た冊子もあったが、さっと眼を通して改めて記憶に留めて供養した。今後共に、現世の「必要」と次世代に「相続」するにふさわしいものだけ残すことを心がけたい。
とりあえず、この2枚の写真に写っている書籍、資料を半分にすることが目標です。

この本棚の中から「思想の科学事典」(1969年刊)を40数年ぶりくらいにひも解いた。この辞典に限界芸術についての記述があります。
その中で、芸術についての記述が簡潔で眼から鱗が落ちる感じを覚えた次第です。

(芸術とは何か)
 芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう。それに接することがそのまま楽しい経験となるような記号が芸術なのである。
もう少しむずかしく言いかえるならば、芸術とは、美的経験を直接的につくり出す記号であると言えよう。(鶴見俊輔