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かなり前のBS8のプライムニュースで先崎 彰容(せんざき あきなか)さんの話を伺い、感じるものがありました。日本国を支える大きな物語の存在に改めて関心を持ち、本棚から神道関係の本を探し出し、また本屋で池澤夏樹の古事記を見つけ買ってしまいました。この本を読み通すことなどできるはずもないです。日本語は奥深く、複雑、膨大であり、その発祥は実り豊かな自然にあると確信しました。そこから、自分のアートを生成させる大いなる物語を組み立て直そうと考えた次第です。
この作業を早めに終わらせ、次なる歩みに向かいたいものです。
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イメージの源泉へ webコラージュです。
地球46億年史 地球創生から生命の進化、文明の誕生、そして現代まで
雨水はやがて激流となって、地表を覆い始めました。 今からおよそ38億年前には、地球に海が誕生していたといわれています。
地球ではじめての生命は約35億年前、海の中で誕生しました。やがてバクテリアがあらわれ、太陽光をエネルギーに光合成(こうごうせい)をして酸素を出すようになりました。
ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から分化し、現生人類であるホモ・サピエンスは40万年~25万年前に現れたとされています。 多くの生物種は、長い時間をかけて環境の変化に身体の形態を変えて適応させてきました。
civilization. 文化と同義に用いられることが多いが,アメリカ,イギリスの人類学では,特にいわゆる「未開社会」との対比において,より複雑な社会の文化をさして差別的に用いられてきた。 すなわち国家や法律が存在し,階層秩序,文字,芸術などが比較的発達している社会を文明社会とする。
長い間、きびしい寒さが続いていた氷河期が終わり、温暖化(おんだんか)へと移り変わるころ、人々は縄文(じょうもん)土器を使い始めました。縄文(じょうもん)とは、土器の表面に縄(なわ)をころがしてつけた文様(もんよう)のことで、この土器が使われていた時代を、「縄文(じょうもん)時代」、そしてこのころの文化を、「縄文(じょうもん)文化」とよびます。
縄文(じょうもん)時代は、紀元前13,000年ころから約1万年以上もの長い間続き、その間に作られる土器の形や色などが、だんだん変わっていきました。 縄文時代は、使われていた土器の特ちょうなどから古い順に、草創(そうそう)期、早期、前期、中期、後期、晩(ばん)期の6つの時代に分けられます。
弥生時代は、今からおよそ2300年前(紀元前3世紀)からおよそ1700年前(3世紀)までをいいます。
漢字伝来
日本語を話す人々が漢字に最初に出会った時期は、金印(福岡県志賀島出土)や銅銭(長崎県シゲノダン遺跡出土)などから、1世紀ごろだと推定されています。いずれも中国大陸で製作された品で、金印には「漢委奴国王」、銅銭には「貸泉」という漢字が記載されています。
古墳時代とは、日本で盛んに古墳が造られた3世紀から7世紀ごろまでを指す時代区分で、およそ350年続きました。弥生時代と飛鳥時代の間に当たり、日本の古代国家のかたちがこの時代に成立し基礎づけられました。
名〙 推古天皇の時、中国文化を輸入するため、日本から隋に派遣された使節。
第一次は推古天皇一五年(607)小野妹子(16年4月帰朝)、第二次は16年9月小野妹子(17年帰朝)、第三次は二二年犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)(=23年帰朝)。
奈良時代(710年頃〜794年)
8世紀初めにまとめられた古事記日本書紀
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年というように、いずれも8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように共に女帝で終わっているところも同じです。また、両書とも編纂の出発点が、7世紀後半の天武朝にあるという点も一致しています。
遣唐使」(けんとうし)とは、7世紀の初めに先進の文化を学ぶため日本か
ら「唐」(とう:7世紀初頭〜10世紀初頭に中国を統一した王朝)へ派
(りつりょうせいど:法律に基づいた統治制度)をはじめとする文化を
持ち帰って国家の発展に貢献しました。平城京(へいじょうきょう:8
世紀初めに奈良に開かれた都)は、唐の都「長安」がモデルと言われま
すが、この都市計画のもとになった情報を持ち帰ったのが遣唐使でした。
遣唐使の派遣は延べ15回行われ、平安時代に廃止されるまで約200年間
続きました。
鎌倉時代(1180〜1336年)
室町時代(1336〜1568年)
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造形の歴史
青銅器
鉄製
装飾古墳
刀剣の発達
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元素
地水火風空
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水は生命の源
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与えられた水
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徒然草学習
徒然草 第二十一段
本日はこれにて。