その1
個展のDMの案内の案です。
その2
今日はひな祭り。桜餅とウグイス餅を食しました。
その3
昨日の火災があった集落は中ノ俣といいます。かつて小中学校があって堀川紀夫は昭和45〜48年の4年間勤務しました。思い出多き4年間でその時の子供達とは縁が繋がっています。
当時の生徒会誌「ふるさと」に書いたものを掲載いたします。(S48 )
後半の2年間は「地域に根ざした題材の開発」に傾注していました。
その4
この集落の真ん中を中ノ俣川が流れており、その石を拾って石を送るメール・アートをかなり展開しました。この川の石を使った作品はThe Nakanomata River Planとタイトルしていました。
東京ビエンナーレに出品。The Nakanomata River Plan-13-のNo12
1970年4月の十日町市中条から高田市中ノ俣への赴任と同時に東京ビエンナーレの話が来ました。そのことに関わる記憶を思い出しながら2月9日にこの度の個展を開催していただくギャラリー関係の皆さんにメールしたものです。
皆様
昨日のzoom会議、誠にありがとうございました。
〈石〉の年表につて、生成初期の自発性で取り組んだ〈石〉送付は読本に記載されている通りです。TB以後は記録を写真だけにし多面的に取らないようになりました。
横浜子供の国で中原さんに呼び止められTBへの参加で声をかけられるなどとは全く思っていませんでした。峯村さんもおられました。
中原さんからの要請を受けてどうすべきか突然のことでその場で即答できませんでした。
(自分の中では〈石〉を成功例として繰り返すのではなく、次にどう飛躍するか悩んでいました。)
翌日くらいに峯村さんに電話して参加する旨を伝えました。
TBの〈石〉送付にあたり、アポロ13号に連動するタイミングに合わせ、自分の中で自発的な意味をどう担保するかで13日間一個ずつ送ることを考えました。
他会場へ東京へ送ったものを巡回する形を取らなかったのは、メール・アートは受け取るところ,受け取り側で生成すると考えて、その都度会場宛に送ることにしました。
13−4は現場からの発想で、以後は9個で対応することにしました。
東京と京都は記録冊子を「作成。京都では鴨川でのパフォーマンス。
記憶を整理して。
とりあえず。 堀川紀夫
本日はこれにて。