その1
1970年の東京ビエンナーレ出品の拙作の〈石〉です。コダックのポジフイルムで撮影したカラーものでこれまで公開したことはありませんでした。5月中旬の2回目の会場入場の際に撮影したと思われます。この時は荷札が破損せずに綺麗に付いているものがいくつかありました。しかし、会期が終わって戻ってきたのものには別種の荷札が付けられて当初のものは数枚のみ記録として送られてきたわけでした。返送についてきちんと指示、お願いすれば良かったと反省しましたが後の祭りでした。今はこれら数枚の写真で語るしかありません。
その2
8月のニルヴァーナ展で配った作品です。これを再制作することになりました。
その3
2015年10月16日 松沢宥宅にて。研究者のマロッティさんに撮影していただいたものです。〈石〉も5円も丁寧に保存されていました。本当にありがたいことで大感謝でした。この〈石〉は2019年の荒野のラジカリズム展に出品していただきました。
その3
〈石〉読本に追加する内容です。
50年以上前の記憶を整理して。
〈石〉の年表につて、生成初期の自発性で取り組んだ〈石〉送付は読本に記載されている通りです。TB以後は記録を写真だけにし多面的に取らないようになりました。
横浜子供の国で中原さんに呼び止められTBへの参加で声をかけられるなどとは全く思っていませんでした。峯村さんもおられました。
中原さんからの要請を受けてどうすべきか突然のことでその場で即答できませんでした。
(自分の中では〈石〉を成功例として繰り返すのではなく、次にどう飛躍するか悩んでいました。)
翌日くらいに峯村さんに電話して参加する旨を伝えました。
TBの〈石〉送付にあたり、アポロ13号に連動するタイミングに合わせ、自分の中で自発的な意味をどう担保するかで13日間一個ずつ送ることを考えました。
他会場へ東京へ送ったものを巡回する形を取らなかったのは、メール・アートは受け取るところ,受け取り側で生成すると考えて、その都度会場宛に送ることにしました。
13−4は現場からの発想で、以後は9個で対応することにしました。
東京と京都は記録冊子を「作成。京都では鴨川でのパフォーマンス。
とりあえず。
その4
webより
山王神社のクスノキは、昭和20(1945)年の原爆を受けて幹の上部は折れ、熱線で焼かれ、ガラスや石が幹の中に食い込みました。一時は葉も落ちてしまい枯木同然でしたが、短い時間で生き返り、樹勢を盛り返しました。その姿は、原爆によって「70年は草木も生えない」といわれた土地に住む人々に希望と勇気を与えました。そして、長崎にとって大切な木として、市の天然記念物に指定されています。
三条月岡小での被曝柿の木の植樹で大変お世話になりました。また2019年の長崎訪問で歓待いただきました。出演された姿に感動しここに記しておきます。
被曝の楠。
その5
長崎訪問で撮影した長崎平和祈念像。
長崎訪問で撮影した長崎平和祈念像。
本日はこれにて。