その1
九州派の行為や岐阜長良川での様々な試みがありました。
その後に欧米からアース・ワークが日本に紹介されました。その頃に私は現代美術を目指し始めました。
1968年関根伸夫さんが須磨離宮で「位相・大地」を発表し、続いて長岡現代美術鑑賞で大賞を受賞など、美術界は話題が豊富で刺激的な日々があり、BT1月号で泉治郎さんによるアース・ワークが紹介記事がありました。
この時期の動きを現時点で捉え直してみて、反芸術から非芸術へ向かう価値の激動期だったということになります。
どちらが先だったか覚えていませんが峯村敏明さん訳の「芸術の廃棄」がでました。
BT 1969.7に特集「新しい自然〈2〉アースワーク」が載る。
これは8月号の藤枝晃雄さんによる記事。
「アルテ・ポヴェーラ」について紹介された最初のテキストと思われます。
BT 1970.4
1970.05 東京ビエンナーレ「人間と物質」展が始まりました。
この時期からこれ以上はアートとしての新しい地平が切り拓かれていないようにも思います。テクノロジーは進化してきてシンギュラリティの時代になってきていますが。
その2
タイラー・コバーンさんとの縁で宮崎準之助のことを知りました。
九州派のこと。宮崎準之助さんのことがわかりました。
九州派運動の実質的な終焉は、1962年11月、福岡の百道海岸で一昼夜をかけて行われた「英雄たちの大集会」でした。東京からは風倉匠らが参加し、大山右一はオブジェの塔に放火、宮崎準之助は一晩中穴を掘り続けました。
この後1965年の岐阜長良川アンデパンダンでグループ位の河原での穴掘り行為が為されれることになります。
時系列に物事の歩みを整理することの大切さを改めて感じました。
本日はこれにて。