1982年頃、当時勤務していた大島中体育館で行われた東頸城郡美展の審査風景。右から大塚美史、鈴木栄太郎、三浦顕栄(新潟大学教授審査委員長)、親跡喬。お世話になった先生方です。
これは城北中の体育館か?かなり大きな体育館です。上越市美術研究会か上美蓮コンクールの審査の時か?です。中央は恩師の北条明義先生です。
1983に大島中学校の周年行事の記念誌の表紙の仕事があって、すぐ前に流れる保倉川の流れに着目。川の流れという自然=事物、意味、イメージを一つに映像に凝縮することができた。この川は永遠に流れていくという当たり前のことを発見した。
学校関係の表紙のデザインは造形思考力を培う格好の機会だった。
この前田常作先生とのハプニングのことは以前に記事にしていました。今改めて考えて、その意味は大きくて生き生きしています。1969.8.22のこと。