先日の隈研吾さんの時論公論で話されたパンディミック、大災害と建築の変遷などから記録に残る歴史的な感染症の流行と大災害をWebで調べてみました。
おかげで建築におけるポスト・コロナの方向はよくわかりました。
ペストの歴史
過去に3度のパンデミックが確認されている。発生日、収束日、どのパンデミックに分類するかについてはまだ議論が存在する。
- 第一のパンデミックは、西暦541-750年、エジプトから地中海(ユスチニアのペスト)、ヨーロッパ北西部まで広がった。
- 第二のパンデミックは、西暦1331年-1855年、中央アジアから地中海、ヨーロッパ(黒死病)に広がり、おそらくは中国にも伝わったとされる。
- (ルネッサンス、宗教改革、科学の振興:三大発明など)
- 第三のパンデミックは、西暦1855年-1960年、中国から世界の様々な場所に広がり、とりわけインドとアメリカ合衆国西海岸に広がった。
しかし中世の黒死病は、第二のパンデミック初期ではなく、第一のパンデミック末期とみなされることもある。その場合は二番目のパンデミックの始まりは1361年となる。
また第二のパンデミック収束日も、文献によりさまざまである(1840年ではなく1890年という記載もある。
1755年11月1日、ポルトガルの首都・リスボンを強烈な揺れが襲いました。ポルトガル沖のプレート境界で起きた超巨大地震で、ヨーロッパ中が揺れました。大航海時代の富が集中したリスボンの建造物のほとんどが破壊され、さらに大津波が襲いました。津波はポルトガルだけでなく、大西洋岸の各国を襲いました。リスボンの町は、強震、津波の後、火災が発生し、火災旋風で焼き尽くされてしまいました。6~9 万人に及ぶと言われる犠牲者に加え、大量の書物や大航海時代の記録、世界から集められた貴重な美術品も失われました。
リスボン市は壊滅。奇跡的に崩壊せず残った建築物が世界遺産ジェロニモ修道院というから、優れた耐震構造技術も存在したようだ。
(建築では耐震構造の研究が進む。あらゆる分野に影響が及ぶ)
シカゴ大火(シカゴたいか:Great Chicago Fire)
1871年10月8日夜にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市内で発生した大規模火災のこと。
(建築が強固で高層ビルになっていく。)
スペインかぜ(スペイン風邪、英語: The Spanish Flu (influenza))
1918年-1920年に世界各国で極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。
第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことに由来する(スペインが最初の発生源ではない。病名も風邪ではなく新型のインフルエンザである)。「1918年パンデミック」とも呼ばれる。
1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は1,700万人[3]から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである[4][5]。アメリカ合衆国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した。
日本では
第2時世界大戦敗戦。
1964 新潟地震
20113.11 東日本大震災。
2011 福島第一原発爆発事故。
2020 新型コロナ感染症来襲
とにかく日本は災害の多い国です。
アートはどうあるべきか、簡単に答えは出ません。
付け足し
先日の黒部ダム観光で扇沢駅からのバスを見送ってくれた黒にょんのマスコットが印象深かったのでダムの売店で買って孫に送りました。写真を撮り損ねましたので黒四のサイトを調べたら出ていました。引用させていただきます。
マスコットは30cmくらいの大きさでした。孫が喜んでくれたとのこと。爺馬鹿の巻です。