Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

紙製地球儀より

お盆に孫と遊ぼうと買った未使用の紙の地球儀を膨らませてみました。台湾が糊付けのところに重なって見えなかったりで大雑把なものですが、立体的に地球を見ることができるので色々と発想が広がり、気づかされることがありました。

 

何故かポリネシアに目が行きました。先日、テレビで美しい自然が破壊され原爆の後遺症で苦しんでいる人がたくさんいるという番組を見て記憶に残っていたからかと思います。

調べてみるとフランス領でとんでもない原爆実験の回数が記されていました。

 

大気圏で行われた際の放射能は宇宙に漂っているはずです。大気圏にはどれくらい漂っているのでしょうか。

地下で行われた際の放射能は海水に溶け出てきているはずです。

 

 ウイキペディアより転載

フランスは、1960年から1996年までの間に核実験を210回実施した。このうち17回はアルジェリア中のサハラ砂漠で実施、193回は仏領ポリネシアで実施された。

初の核実験は1960年2月13日サハラ砂漠マリ共和国国境に近いレガーヌにあるサハラ軍実験センターで実施され、「Gerboise bleue青いトビネズミ)」と名づけられたプルトニウム型実験弾頭の爆発は成功した。この第1回実験にまで要した経費は総額3億6000万ドルとされる。1960年12月27日の第3回実験では日本ソ連エジプトモロッコナイジェリア及びガーナが抗議した。

1962年3月19日エヴィアン協定が結ばれ、同年7月5日にはアルジェリアが独立した。フランス軍の大部分の部隊と軍事施設の撤退が決まったが、独立後15年間はフランス軍の駐留が認められたので、1961年11月7日から1966年2月16日まではタマンラセットの北150kmにあるエッカー実験場で地下核実験が行なわれた。これと並行して南太平洋にあるムルロア環礁の実験施設の整備も進め、逐次機能を移転してゆく。1967年7月1日までにアルジェリアに所在したフランスの核施設は撤収した。

1962年5月1日にエッカー実験場での地下核実験で想定より大きな核爆発が起きて爆風が噴出し、 実験に立ち合っていたピエール・メスメル防相ガストン・パレフスキー科学研究・核担当相をはじめ約2000人の関係者が被曝した[3]。特に、第621特別技術群の兵士9人が600mSv被曝をした。他の兵士やアルジェリア人労働者100人も推測50mSv程度の放射線に被曝したと推定されている。

核実験の回数[3]
地域 実験場 大気圏 地下 合計
サハラ砂漠 レガーヌ実験場 4   4
サハラ砂漠 エッカー実験場   13 13
ポリネシア ムルロア環礁 41 137 178
ポリネシア ファンガタウファ環礁 5 10 15
合計   50 160 210

 

台湾が隠れています。

 

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ポリネシアをフランスが支配してどれくらいになるのでしょうか。

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アメリカの核実験は途方もない回数行われています。マーシャル諸島での実験はほんの一部です。

米軍はマーシャル諸島で核実験を継続し、1950年代までに全部で67回の核実験を行なっています。1954年3月には米軍の水素爆弾実験によって日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝する事件も起こりました。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

マーシャル諸島

 
太平洋ミクロネシア海域に浮かぶ島々からなる共和国。19世紀末はドイツ領だったが、第1次世界大戦開戦後に日本が占領し、1920年から委任統治第2次大戦後、国連信託統治領として米国の施政下に。日本の漁船第五福竜丸も含む多大な人的被害を出した54年3月のビキニ水爆を始め67回の核実験国土が使われた。86年独立。91年に国連へ加盟したが、米国との協定により、米国が防衛を負担する代わり、一部の環礁をミサイル実験場として使用している。

(2016-04-25 朝日新聞 朝刊 2外報)

 

 核実験の回数:アメリカがダントツである。

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