昨日はブログを書くのを忘れてしまいました。4時頃から釣りに出かけ、3時間くらいの釣果はキス2匹でした。蒸し暑い日でしたが海岸には爽やかな風が吹いていました。
さて、数日前に以下のことを表明しました。与えられた残りの人生のアート活動指針です。
小さな島に居を構え大陸との交通は以下の吊り橋のような道を行ったり来たりすることになります。
現在は、以下の基本的な考えでアート活動を行なうこととしています。
1、個人で活動する。本人が表現主体である個展は適宜行う。
2、参加費・会場費を支払う形の持ち出し方式の個展やグループ展には参加、出品しない。
3、美術館や画廊等の企画展に出品依頼された場合、趣旨内容と参加条件により出品する。
4、数名で意気投合した場合、その数名によるグループ展を共同で企画開催する。
5、コンペには応募することがある。
裏町にひとりの餓鬼あり、飢ゑ渇くことかぎりなければ、
パンのみにては充たされがたし。
胃の底にマンホールのごとき異形の穴ありて、
ひたすら飢ゑくるしむ。
こころみに、綿、砂などもて底ふたがむとせしが、穴あくまでひろし。
おに、穴充たさむため百冊の詩書、工学事典、
その他ありとあらゆる書物をくらひ、
家具または「家」をのみこむも穴ますます深し。
おに、電線をくらひ、土地をくらひ、
街をくらひて影のごとく立ちあがるも空腹感、ますます限りなし。
おに、みづからの胃の穴に首さしいれて深さはからむとすれば、
はるか天に銀河見え、ただ縹渺とさびしき風吹けるばかり。
もはや、くらふべきものなきほど、はてしなき穴なり。
この詩が書かれた時代私も一人の餓鬼だった
かなり未熟な餓鬼だった
その餓鬼は世界を見る視野が狭かった
視野の外側にたくさんの道があるの見えなかった
先が見えず
今しかなかった
なんとか生き延びて
しばらくして明日がある時代になって
それから50年
今は餓鬼ではない
餓鬼だった頃の空腹感を忘れてはいないが
持ち続けてはいない
引き出しに入っている
捨てるに捨てられない
記憶という代物
この頃の穴の問題を解決した一つが
関根伸夫さんが神戸の大地に穿った
穴であり
積み上げた同体積同型の円筒形である。
この穴問題に続く穴問題については
先日少し書いた。
私は、この穴を知らなかったわけではないが
穴を穿つことや、穴で思考することはなかった。
穴のヘリにしがみついていたのかもしれない。
時々思う
半世紀前の記憶