Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

記録の記憶とその整序

美術史家である富井玲子さんに過去の活動の記録、メモ書きなどを見せて、きれいに書き直したいというと絶対に書き直してはならないと言います。これまで数回そのように言われたことがありました。その事は大切な教えと受け止めています。

一般に歴史として書き残されているものは真実と虚構が混在していると捉えるのが正しいスタンスです。歴史はその時代の権力の都合に合わせて後知恵を働かせて書き直されています。

先日(4月6日)、前山さんのところから1971年後半に書いた青焼きの原稿の草稿と思われるものが出て来たときは驚きました。前山さんに送ったものですが過去の自分の亡霊を見た思いでした。あるミニコミ紙からの依頼で書いたもので、前山さんも同じ冊子に書いています。その内容はまさに青春のグラフィティそのものでした。その時の考えの支えとしていた考えは「自己否定の論理」で、それは翌年の連合赤軍による「あさま山荘事件」によって見事に挫折、霧散してしまいました。
その後、生業の教員の仕事を通して自らを立て直しました。

さて、私は!969年の始め頃から3年間くらい一日一発想を目指して「発想メモ」を取ることを心がけました。作品構想の思いつきをメモるわけです。その中で作品として実現されたものは数例で、実現されなかったメモの中には今でも新鮮と思われるものもあります。「石を送るメールアート」を発想し実行した前後のメモを紹介します。(上記は10日に入って一部書き直し)

発想の為のメモ(石を送るメールアートが生成するまで)
1969年7月1日
手当のため何回も宿直する。その不摂生からか、眼が醒めると強烈な腹痛を感じる。
中条病院で看てもらう。血尿あり。尿管結石とのこと。即日入院し2〜3日後自宅療養へ。
高田市の生家へもどって、県立中央病院で精密検査、投薬を受ける。

自宅療養中でのメモ

1969年7月10日
⑴ 池の中に浮きを浮かべる作品
⑵ 芝草を正方形にカットする作品。「再生」
⑶ 紙の立体をばらまく。
(飛行機、デパート屋上から。集合と要素・変換)

1969年7月11日

何処へ(クオ・ヴァ・ディス)

数学者は、画家や詩人と同様に型の作り手である。彼のつくり出す型が、画家や詩人のつくり出すものより恒久的であるとしたら、それは数学者のつくる型が概念でできているからである。   G.H.ハーディ(数学◯◯辞典)

同じ言葉をWebで調査・確認(2018.4.9)
数学者は、画家や詩人と同様に、様式(パターン)を作る。もし数学者の作る様式が画家や詩人のものよりずっと恒久的であるとしたら、それは「概念・内容(アイデア)」の織りなす様式だからである。 G・H・ハーディ



我々に残された世界は何であろうかと自問する。
私の肉体に血が通っていて
人間としての思考がなされ行動できる限り私は問う。
表現という観念(概念か)も創造という観念も(概念か)
この三分の二年間の間に気化してしまい、全て空に帰し
前衛とも言いようのない旗印のもとに芸術を砕き続け
反芸術から芸術の廃棄まで進んできているが
ここにおいて、自らの力量のなさと
日本の美術評論家達の主体性のなさにあきれてしまう

いかなる新しさも風化してしまう現状況
いかなる新しさもすぐに体制化してしまう状況に
私は、我々は何を成すべきか
我々に残された道を、方法を探求せねばならない


この自宅療養中にアポロ11号の月面探査のニュースが盛んに報道される。
中央病院で精密検査を受け、仏壇のある座敷で寝ころんで休んでいる夢枕に、アポロ11号が月で石を拾う時を同じくして地球の石を拾うことを思いつく。

1969年7月14日(十日町市中条に戻る。中学校勤務に復帰する)

1969年7月14日

アポロのテレビを見る
机上のノートは昨日のまま
コップも一日前のまま
俺は24時間前と変わっただろうか
それとも
今とは いや 生きるとは
何の中に

展覧会の案内状を針金のロープでくくり郵送すること。

関根伸夫作品の国際彫刻展作品分析する(ニュースで知り、作品を想像して考えた)

グランド(地表)から石を持ち上げて見せるエネルギーが現代である。
これまではこのエネルギーがなくても石を石として捉える事が出来た。
(現代をとらえ、近代を超克する作品である。)

この時の記憶をつなぐメモが下記(今回の調査で富井さんが撮影して行かれた)

(メモの中に脱字発見し加筆)

1969年7月17日

石を梱包し郵送する。アポロ11号に合わせる。(自分の構想プランの決行を決意する)

1969年7月21日
樹木と樹木の間に、ガラスかアクリル二枚で水のキャンバスをつくりエアーモーターで水泡を見せる。
1年c組の美術の時間に信濃川へ行ってアポロ11号の月面探査のラジオ実況中継を流しながら生徒に300gの石を採取するように課題を出す。無を限定するという意味付け。10数個採取。

放課後より技術室で石をメールアートに仕立てる作業を開始。
→ 11:56:20を石にスタンプ。(人類として月面に初めて降り立った日本時間)

1969.7.21 11:56:20(アポロ11号)で石を郵送した相手

針生一郎 中原佑介 東野芳明 石子順造 郭仁植 前山忠 関根伸夫
松沢 宥 前田常作 高松次郎 堀川紀夫(計11名)

1969年7月23日
その地点における経度、緯度を記録し、それを開示して作品とする。

今、振り返ると「石を送るメールアート」が当時沢山発想した作品の中の一つであり実行した直後に大当たりして、またその30年後に再評価され50年後まで話題になり続ける作品になるとは思いもしていませんでした。