Art Site Horikawa-II

徒然なる思いも含め書く事を積み上げ、アートの発想、構想力を鍛える。

The Shinano River Plan-11

1969年7月21日 私は十日町市中条中学校に勤務していました。そして、美術の時間にアポロ11号が月面到着するというラジオ中継を聞きながら、生徒とともに近くの信濃川の河原に立ち、地球の石を採取しました。そして、その石をメールアートに仕立てて自分を含め11名に送りました。この日に私の「石を送るメールアート」が始まったわけです。
あの日から、間もなく47年。最近出版された、NY在住の富井玲子さんの著作「荒野のラジカリズム」にその事が取り上げられました。
その本を米国の若い女科学史学者が読んで、興味を持ち、6月4日に富井さんにメールをし、そこから私のところにつながって、近日中に私を訪ねてくるという話になってきました。
その学者は昨日日本に到着。東京と大阪にある国立科学博物館で講演をされるのが来日の主目的と聞いています。が、私の事は観点は科学の正史ではなくカウンターカルチャーからの観点です。正史の学者がそのようなスパンで物事を考えているという事になります。イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)のような話になるのか分かりませんが、私のThe Shinano River Planが正に、思いもよらぬビックリポンの展開となっています。
 この展開に寄せて、当時制作のドキュメントカード(富井著作に掲載)と写りの悪い当時の写真とその5日後に生徒会紙のために書いたコメントをタイプし直して掲載します。
アートはものではなく意味生成である事を確認する出来事になりそうです。
カードと写真とコメントをブログで公開するのは初めてです。

この私のアート行為が当時の全国新聞でも取り上げられましたが、今回初めて米国に伝わる事になるかも知れません。



昭和44年8月9日  新潟県十日町市立中条中学校生徒会新聞
 
「69721115620」
堀川紀夫

 あの時私は何をしていただろうか。アポロ11号が月に到着し月面に人間が降り立った時…….。
 すばらしいイベントである。一言で言えば。しかし私個人の問題に還元してみた時私は手をたたいて喜んではいられなかった。
 余りにも完全すぎた。
 余りにも美しすぎた。
科学、いや人間の力の偉大さとともに、自分の力の無力を強く感じたのである。
でも驚いてばかりいられない。私は月の石なんかには興味がない。このイベントをのりこえる思考を持とう、そして、そこから新しく自己を見つめてみよう。視点を変えよう。思考の基底を変えよう。地球を月を水星をいや太陽系をいや銀河系を、もっと全宇宙をつつむ世界を考えよう。そして月の石を考えてみよう。世界は限りなく広い。
その絶対的な広さを意識しよう。そしてその世界を外側からながめよう。
 人間が月に立ち石を持ち帰ったところで宇宙は変わりはしない。変わるのは人間であり思考である。
 そして人間の物理的存在を考えよう。堀川という存在も宇宙の元素のある結びつきである。でも私は石でなかった。私は人間であった情念に満ちた。
 子供のように感動し、子供のように疑問を持とう。それが堀川が堀川であり人間である証明と言えよう。いろいろな面からものごとを考えようではないか。
7月26日(1969年)

アポロ11号の直後に生徒会新聞に寄稿